謎の神アメノマヒトツを祀る天目一神社

2022年10月16日日曜日 22:22

天目一神社あめのまひとつじんじゃは、兵庫県西脇市にある神社。延喜式神名帳の播磨国・多可郡に「天目一神社」とあり、いわゆる式内社だ。主祭神のアメノマヒトツは、日本書紀や播磨国風土記などに登場する、鍛冶を司る神さま。
また、日本へそ公園は同市にある公園。日本の中央はほぼ東経135度・北緯35度といわれ、これが交差する場所に位置する。
風土記ゆかりの神さまにお会いするついでに、“日本のへそ”にも寄ってみた。

参拝前に、主祭神についてまとめておこう。
アメノマヒトツは文字通り“目が一つ”の神さま。鍛冶職人として、溶鉱炉の火を目一つで長い間見つめ続けることで、片目になってしまった者を、神と崇めたとされる。
播磨国風土記の託賀郡たかのこおりの段に、
荒田と名付けたわけは、ここに鎮座する神、名を道主日女命ミチヌシヒメが、父親も無いのに赤子を生んだ。誰の子か神意を聞くための酒を醸造しようとして、田七町を耕作したところ、七日七夜の間に稲が実った。そこで酒を醸造し、多くの神たちを集め、その子を遣わして酒を捧げさせた。すると、その子が天目一命アメノマヒトツに向かって酒を奉った。そこで、その父親であることがわかった。後にその田が荒れたので、荒田村と名付けた。
とある。このエピソードには、アメノマヒトツの神性である鍛冶の要素はみられない。なお、ミチヌシヒメは同じく式内社の荒田神社あらたじんじゃの御祭神と考えられるが、多可町の荒田神社の現在の御祭神は、スクナヒコナとなっている。
日本書紀の神代下第九段・第二の一書には、
天目一箇神、為作金者。
(アメノマヒトツを鍛冶の役目とした)
と簡単な記述のみ。
もうひとつ注目したいのが、古語拾遺こごしゅういの記述。古語拾遺とは平安前期に成立した歴史書で、古代の氏族である斎部いんべ氏の氏族伝承などが記されており、記紀に無い神話や事績を知ることができる、貴重な文献だ。この中に、
天目一箇命〈筑紫伊勢両国忌部祖也〉
(アメノマヒトツは筑紫国・伊勢国の忌部氏の祖神である)
とあるだけでなく、天岩屋の段に、
令天目一箇神作造雑刀、斧及鉄鐸。
(アメノマヒトツに様々な刀や斧、鉄の大鈴を造らせた)
崇神天皇の段に、
率石凝姥神裔、天目一箇神裔二氏、更鋳鏡造剣。
(イシコリドメの子孫・アメノマヒトツの子孫の両氏を率いて、さらに鏡を鋳させ、剣を造らせた)
と、日本書紀を補完するような独自伝承が。

ここまでを整理すると、アメノマヒトツは鍛冶・金工の神で、天岩戸隠れにおいては刀などを造る役割を果たし、その子孫も鍛冶の役を担い、宮中に祀られていた剣の写しを造ったことになる。
これらを踏まえた上で、古事記に目を向けたい。こちらも天石屋戸の段に、
取天安河之河上之天堅石、取天金山之鉄而、求鍛人天津麻羅而
(天の安河の上流から鉄を鍛えるための堅い石を取り、天の金山から鉄を取り、鍛冶屋のアマツマラを探して)
とあり、アメノマヒトツと同じポジションと思われる個所に、アマツマラ(天津麻羅)という名がみえる。このことから、同一神とする説がある。
ただし、アマツマラは神ともミコトとも尊称が付かず、求められた割には何をしたか書かれていない。アメノマヒトツと同一神とすれば、「令作矛(矛を作らせた)」または「令作剣(剣を作らせた)」の文が脱落しているのではないか、とする説もある。イシコリドメの作った八咫鏡やたのかがみ、タマノオヤの作った八尺瓊勾玉やさかにのまがたまとともに、アメノマヒトツの作った剣が、三種の神器(皇位のしるしとして歴代の天皇が受け継ぐ三つの宝)かもしれないのだ。
三種の神器の剣といえば、草薙剣くさなぎのつるぎあるいは天叢雲剣あめのむらくものつるぎではないのか、英雄神スサノオが怪物ヤマタノオロチを退治したときにその体内から手に入れた剣ではないのか、とツッコミたくなるところ。しかし、天石屋戸神話と天孫降臨神話が本来は繋がっているエピソードなのに、古事記の構成として、間にスサノオとオオクニヌシの神話――いわゆる出雲神話――を挿入したのでは、そしてスサノオの入手した剣を三種の神器とするために、アマツマラの行動が抜かれた(彼が剣を作ったのでは具合が悪い)のでは、という実に興味深い説があるのだ。
もちろん解釈には諸説ありなんだけど、僕個人としては、整合性の取れた考えだし、十分あり得る話だなと思っている。アメノマヒトツ、一般にあまり知られていない神さまだろうけど、重要な地位を占めるのかも。そう考えると、風土記ゆかりの神さまという以上に、お会いしたくなってくるよね。

お買い物を済ませたあと、前日に続き天気が良いと出かけたくなる。それならドライブがてら西脇へ行こう。
ひたすら国道175号線を北上してから、加古川から枝分かれする杉原川を遡るように進んでいくと、天目一神社に着いた。鳥居前のスペースが駐車場らしい。
社号標には、平野神社の名も併記されている。こちらは大木・前島・市原・野中4町の鎮守社とのこと。旧境内地は少し北の平野山だが、天目一神社に合祀された。
その奥に立つ2019年に制作されたという境内マップには、情報がびっしり!境内の案内だけでなく、天目一神社復興のいきさつや由緒のほか、年中行事についても細かく書かれている。かなり新しいし、これは嬉しいね。


参道の静けさが心地よい。まだ15時過ぎだというのに、だいぶ陽が傾いてきたなぁ。


拝殿にて拝礼。ずんぐり体型の狛犬がなかなか愛嬌がある。
この拝殿に掲げられた「日野の歴史と天目一神社」も、メチャクチャ文章が長い。リーフレットの類いが無くても、これだけ示していただけると有り難いねぇ。


本殿は神明造。そうそう、鳥居も神明鳥居だった。播磨で、しかも御祭神がアマテラス以外で、神明造って珍しいような。


本殿の南にある末社。境内マップによれば、アメノミナカヌシ・比留女之命・龍神をお祀りする。問題は「比留女之命」のルビが「おなむちのみこと」となっていること。どう読んでも「ひるめのみこと」としか読めないと思うんだけど。とすればアマテラスのこと。「おなむちのみこと」の読みが正なら、オオナムチ(オオクニヌシ)のことになる……謎だ。
祠の横には、古代建造物の礎石と考えられる石。


北側の3つの末社の御祭神は、不明のようだ。


戻るために振り返ると、向かいの山容がとても美しく見えた。地図を見ても、山の名前はわからなかった。

ここまで来たなら“日本のへそ”にも寄っておこう。そう提案すると、嫁が道の駅に行きたいと。こういう希望は大歓迎。先に、道の駅北はりまエコミュージアムに向かい、特産品を物色。

それから日本へそ公園へ。駐車場は盛況で、あちこちから、子供たちの楽しそうにはしゃぐ声が聞こえた。
僕も子供の頃、両親に連れられて行った記憶があるんだけど、変なオブジェか何かを見たことしか覚えていない。


流星の道は、メタセコイアの並木道になっている。紅葉の季節が見事らしいが、今のままでも十分奇麗だ。


そしてその先にある科学館テラ・ドームこそが、記憶の中の「変なオブジェ」のような気がする。そっか、ここかぁ。
方位の広場に、日本のへそモニュメントに、遊具がたくさんある宇宙っ子ランド。夕暮れが迫るなか、まだまだ賑わっていた。

興味惹かれた神さまにお会いして、昔の思い出の地にも寄って、どちらも良いところで。有意義な週末になったなぁ。

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