ねぶたの家 ワ・ラッセでハネトと囃子体験
2025年4月12日土曜日
23:52

そのどれもがとても貴重な経験で、ねぶた祭の楽しさの一端が垣間見えて、メチャクチャ楽しかったよ!
ねぶたの起源については諸説ありハッキリしないけど、七夕を原点とした民俗行事が発展したものという説が有力。平安初頭の武将・
ネムノキと大豆の葉を体にこすりつけて川に流す「眠り流し」という行事が、江戸時代には全国にみられる。その囃子ことばが「ねぶたは流れろ、まめの葉はとどまれ」で、青森でも同様だったという。ネムはネブタともいい、睡魔を意味する。マメはまめに働くなどというように、勤勉に通ずる。農繫期を迎えようとする季節に、眠気を憎んで川に流そうとし、勤勉さを土地に留めようとしたわけだ。ここに「灯篭流し」が融合したのがねぶた祭とされるけど、いつ始まり、どのような経緯で大規模な灯篭行列が運行されるようになったかは、謎なんだよね。


エントランスホールにて、駒碧さんと久しぶりの再会。嫁ともいつぞやのイベントで会っているけど、改めて二人が挨拶を交わした。チケット売り場は2階とのことで、駒碧さんの先導で「ねぶたミュージアム」へ。

明治・大正・昭和・現在と、時代で変化するねぶたの大きさを解説するディスプレイに加え、ねぶたをロウソクで灯していた頃は火災が起こりやすく、火事を合図するお囃子があってそれで周りが把握していたなど、駒碧さんの補足が入る。だから、分かりやすいし理解も深まる。


テーマ的に僕が一番観てみたかったのがこの、NTTグループねぶたの『



また、赤を基調とした配色が多いのは、ロウソクや電球の灯りに合うからだと。それがLEDに変わって青色などが使えるようになり、水や雪の表現が現れたり、派手な七色まで登場しだした。伝統を重んじる人からは、あんなのはねぶたじゃないと言われるそうだ。
昔からの技術を継承しつつも、新しい工夫を取り入れて変化していき、それがまた伝統になっていく。そういうものだと思うよ、僕は。

まずはハネト体験。ハネトとは「跳人」と書き、ねぶたの周りを跳ね回りながら盛り上げる踊り手のこと。けんけん(片足ずつ交互にジャンプする動き)ができれば、誰にでもできるとのこと。とりあえずでいいなら確かに簡単。だけど地元民たる駒碧さんのそれは、キレッキレでカッコいい!そうか、そういう風に跳ねるのか、と参考にさせてもらった。そこへ、「ラッセラー、ラッセラー、ラッセラッセラッセラー」の掛け声が入る。ちなみにラッセラーは、ロウソクなどを「出せ、出せ」と言っていたものが転訛したらしい。わずか1分跳ね続けただけなのに、随分長く感じられたよ。

さらにもうひとつ、
得も言われぬ満足感に包まれて、ワ・ラッセを退館した。


念願だった『マンガ古事記』へのサインも頂戴したよ。応援している同人作家からサインをもらっておき、プロデビューしたらそちらのサインももらって作品を並べるという、僕のささやかな夢が叶った。
最後は、ワ・ラッセの駐車場に戻り、駒碧さんのお見送りを受けて、青森空港へ。楽しい楽しいひとときを、本当にありがとう!おかげさまで何倍も充実した時間を過ごせたよ!
青森空港から5km以上離れているけど、JA青森 中央SSが最寄りのガソスタのようだ。空港周辺にはなんにも無いんだなぁ。また、空港まで車で行くには、青森空港有料道路を通る必要がある。有人のブースで現金払い。それと、空港にはレンタカーターミナルがあって、トヨタレンタカー青森空港店もそこに含まれていた。初めて見る形態で戸惑ったけど、建物の前の駐車枠に停めればいいそうだ。色々と変わった場所だねぇ。
それからアスパム物産空港店を覗いてみたけど、あのクッキー以上のインパクトのあるお土産は見当たらなかった。機内で何か食べようとも思ったんだけど、これまた良いものが見つからず。
帰路はJALのクラスJで。ゆとりのあるシート幅に加え、レッグレストが疲れた脚に心地よい。
結局、自宅近くのファミレスで遅い晩ご飯。深夜帯に営業してくれることが、これほど有り難いとは。
青森の滞在時間はとても短かったけど、ねぶた祭の面白さを教えてもらった。友人にも会えてスゴく嬉しかった。また改めて青森には遊びに行きたいね。それこそねぶた祭とか!
【参考文献】
清川繁人「津軽における『ねぶた』の発祥」『青森大学付属総合研究所紀要 (24-2)』青森大学付属総合研究所,2023年
柳田国男「眠流し考」『信州随筆』山村書院,1936年
清川繁人「津軽における『ねぶた』の発祥」『青森大学付属総合研究所紀要 (24-2)』青森大学付属総合研究所,2023年
柳田国男「眠流し考」『信州随筆』山村書院,1936年