青函トンネルを新幹線で通るロマンと絶品の津軽郷土料理
2025年4月12日土曜日
12:07

様々な困難を乗り越えて貫通した青函トンネルと、新幹線が通る日を夢見た人々。そこにロマンを感じたから、実際に新幹線で青函トンネルを通ってきた!
津軽海峡を海底トンネルで結ぼうという提案は大正時代、
唯其事業の容易ならざる决して一朝一夕の事にあらざる可きも、関門海峡の海底鉄道は漸やく着手せられんとしつゝある際、函館大間間の海底鉄道の如き、距離に於て多少の相違こそあれ、决して無謀の挙にあらざる事、余の信じて疑はざる処なり。着工の迫る関門鉄道トンネルを引き合いに出し、津軽海峡に海底鉄道を通すことの必要性を熱っぽく説いていて、なかなか面白い本だったりする。それはさておき、戦前から鉄道省による青函トンネルの計画が存在したようだし、意外と昔から、本州と北海道を陸路で結ぼうという構想があったんだね。
戦後間もない1946年に本格的な地質調査が開始され、1964年には掘削開始。そんななか、1970年に「全国新幹線鉄道整備法」が施行。翌年には、津軽海峡線は在来線から新幹線へと計画が変更され、青函トンネル本工事が開始された。難航した工事は当初の計画から大幅に遅れたが、遂に1985年に本坑が貫通。1988年竣工を迎えた。しかし、北海道新幹線・新青森-新函館北斗間の開業までにはさらなる年数を要したことは、冒頭述べた通り。
以前、青函トンネル事業のドキュメンタリー番組を視聴して、当事者たちの奮闘する姿と熱意に心を打たれた。新幹線が走ることを初期の段階から計画していたわけで、新幹線は今も彼らの想いを載せて走っている。だから乗りたい。そう思ったんだよね。
さて、ホテルをチェックアウトしたら、新函館北斗駅方面へ。移動効率も時間効率も悪いと思うんだけど、青函トンネルを新幹線で通ること自体が目的だからね。
七重浜沿いを走っているときに函館山をチラリと確かめてみたら、地図で見るよりずっと遠い。ここから見た館の形が箱のようだったっていうけど、昔の人やっぱ視力良いな。という現地ならではの感想を得た。
ENEOS渡島大野SSが最寄りのガソスタのようなので、そちらで満タン給油。といってもたったの3リットル。それからトヨタレンタカー新函館北斗駅前店にて、車を返却。

隣接する北斗市観光交流センター別館「ほっくる」に立ち寄ってみたけど、想像していたよりずっとこぢんまりしていた。見渡す限り田畑だらけの土地で、多くを期待しちゃいけないってことね。

うっかりした原因は、改札がまさか自動ドアの向こうにあるとは思わなかったから。駅を分断するように交流センターが南北を貫いているんだね。なかなかややこしい構造。


車内アナウンスで青函トンネルについて紹介があり、合わせて9時55分頃に入ることも教えてくれた。手前にいくつもトンネルがあって、これじゃない、これでもない、とタイミングを計る。


光の線になって流れていくライトをぼんやり見つめていると、途中で上りの新幹線とすれ違うのを見た。

程なく奥津軽いまべつ駅に停車した。本州最北端の新幹線駅ということになる。ここから乗ってくるお客さんも当然いた。


改札を通ると、南口か東口にしか出られないようで、仕方なく東口方面に向かって階段を下りた。1階の東口から駅構内に入り、西口まで突っ切る。トヨタレンタカー新青森駅西口店はすぐそこ。便利だわぁ。
青森で最初に目に留まったお店が、兵庫県発祥の丸亀製麵だったことに苦笑しつつ、青森西バイパス経由で青森県観光物産館アスパムの駐車場へ。
館内1階は同じ制服の学生たちで賑わっていた。始業式間もない時期だけど、修学旅行なのかな。巻き込まれないように、奥のエレベーターで10階へと上がる。


店内は、蛍光灯の和照明やレトロな振り子時計、白黒写真など、まるで昭和で時が止まったよう。だけど注文はタッチパネルからと、アップデートされている。あの頃の疫禍対応だろう。

で、これが全部メチャクチャ美味しい!しかもヘルシー。ほたての刺身は肉厚で新鮮。にしんの切込はお酒が欲しくなるし、がっくら漬けはご飯との相性抜群。じゃっぱ汁は魚のアラの出汁が良く効いているし、タラの身も結構入っている。ちなみに“じゃっぱ”は津軽弁で

旅行の醍醐味といえばご当地グルメ。だからこれを食べられるお店を探したんだけど、ホントに良いお店に出会えた!
嫁がお手洗いに行っている間、暇つぶしに「お客様へのお願い」が書かれた張り紙を読んだんだけど、これがまた素敵な内容だったので、かいつまんで紹介しておく。人手不足で混雑時など時間がかかる場合がある、と通り一遍の断りと思いきや、現状に甘んずることなくフルパワーで対応すると力を込め、陸奥湾のような穏やかな気持ちで待ってと粋な言葉で締めくくる。店主さん、素晴らしいよ。
嫁も大満足の食事だったそうだし、僕は僕で『西むら』というお店が好きになった。青森には美味しいものがたくさんあると教わった。
青函トンネルを新幹線で通るという体験も、できて良かった。ほとんど何も見えなくても、通ることに意義を感じる。ある意味史跡巡りに通ずるところがあるね。
【参考文献】
阿部覚治『大函館論』紅茶倶楽部,1923年
国土交通省『日本鉄道史』国土交通省,2012年
青函トンネル物語編集委員会『青函トンネル物語』吉井書店,1986年
福島町(北海道)『津軽海峡・青函トンネル工事の歩み』福島町,1982年
阿部覚治『大函館論』紅茶倶楽部,1923年
国土交通省『日本鉄道史』国土交通省,2012年
青函トンネル物語編集委員会『青函トンネル物語』吉井書店,1986年
福島町(北海道)『津軽海峡・青函トンネル工事の歩み』福島町,1982年