青函トンネルを新幹線で通るロマンと絶品の津軽郷土料理

2025年4月12日土曜日 12:07
青函トンネルは、津軽海峡を横断して本州と北海道を結ぶ海底鉄道トンネル。起点は青森県東津軽郡今別町浜名、終点は北海道上磯郡知内町湯ノ里。トンネル延長53.85kmは、開通当時世界最長を誇った。新幹線規格で造られながら、在来線開業から28年もの歳月を経て、北海道新幹線が開業したのは2016年のこと。
様々な困難を乗り越えて貫通した青函トンネルと、新幹線が通る日を夢見た人々。そこにロマンを感じたから、実際に新幹線で青函トンネルを通ってきた!

津軽海峡を海底トンネルで結ぼうという提案は大正時代、阿部覚治あべかくじの著した『大函館論』が最も古い記録とされる。
唯其事業の容易ならざる决して一朝一夕の事にあらざる可きも、関門海峡の海底鉄道は漸やく着手せられんとしつゝある際、函館大間間の海底鉄道の如き、距離に於て多少の相違こそあれ、决して無謀の挙にあらざる事、余の信じて疑はざる処なり。
着工の迫る関門鉄道トンネルを引き合いに出し、津軽海峡に海底鉄道を通すことの必要性を熱っぽく説いていて、なかなか面白い本だったりする。それはさておき、戦前から鉄道省による青函トンネルの計画が存在したようだし、意外と昔から、本州と北海道を陸路で結ぼうという構想があったんだね。
戦後間もない1946年に本格的な地質調査が開始され、1964年には掘削開始。そんななか、1970年に「全国新幹線鉄道整備法」が施行。翌年には、津軽海峡線は在来線から新幹線へと計画が変更され、青函トンネル本工事が開始された。難航した工事は当初の計画から大幅に遅れたが、遂に1985年に本坑が貫通。1988年竣工を迎えた。しかし、北海道新幹線・新青森-新函館北斗間の開業までにはさらなる年数を要したことは、冒頭述べた通り。
以前、青函トンネル事業のドキュメンタリー番組を視聴して、当事者たちの奮闘する姿と熱意に心を打たれた。新幹線が走ることを初期の段階から計画していたわけで、新幹線は今も彼らの想いを載せて走っている。だから乗りたい。そう思ったんだよね。

さて、ホテルをチェックアウトしたら、新函館北斗駅方面へ。移動効率も時間効率も悪いと思うんだけど、青函トンネルを新幹線で通ること自体が目的だからね。
七重浜沿いを走っているときに函館山をチラリと確かめてみたら、地図で見るよりずっと遠い。ここから見た館の形が箱のようだったっていうけど、昔の人やっぱ視力良いな。という現地ならではの感想を得た。
ENEOS渡島大野SSが最寄りのガソスタのようなので、そちらで満タン給油。といってもたったの3リットル。それからトヨタレンタカー新函館北斗駅前店にて、車を返却。

来たよ新函館北斗駅。
隣接する北斗市観光交流センター別館「ほっくる」に立ち寄ってみたけど、想像していたよりずっとこぢんまりしていた。見渡す限り田畑だらけの土地で、多くを期待しちゃいけないってことね。

駅に入ったと思ったらそこは北斗市観光交流センター本館。エスカレーターで2階へ上がったものの、うっかり改札を素通りしてしまったら、通路で「北海道の文化」と題した展示スペースを見かけた。もう少し時間があれば、じっくり見学したかったな。
うっかりした原因は、改札がまさか自動ドアの向こうにあるとは思わなかったから。駅を分断するように交流センターが南北を貫いているんだね。なかなかややこしい構造。

僕らが乗車するのは、E5系新幹線「はやぶさ」。シンボルマークもハヤブサをモチーフとしていて、その先進性、スピード感を表現しているとか。発車まで5分を切っていたけど、ロングノーズの顔も見ておきたい。慌ただしく着席して、ようやくひと息。

窓側を嫁に譲ってもらい、存分に走行を味わう。下りのE席は、進行方向右側の景色。冠雪した山々を眺めながら、さらば北海道、さらば函館。などと思っていたら、木古内きこない駅に停車。そっか、道内にもう一つ新幹線駅があるのか。
車内アナウンスで青函トンネルについて紹介があり、合わせて9時55分頃に入ることも教えてくれた。手前にいくつもトンネルがあって、これじゃない、これでもない、とタイミングを計る。

9時55分過ぎ、何か写ればいいなと願ってシャッターを切った結果が、コレ。このあと青函トンネルに入ったと放送が流れたので、あながち失敗ではないのかな。

青函トンネル内の反響音は、他のトンネルとは違って聞こえた。それが海底を通っているからなのか、単なる気のせいなのかは判らない。ただ、そう感じたことだけは確か。
光の線になって流れていくライトをぼんやり見つめていると、途中で上りの新幹線とすれ違うのを見た。

トンネルを抜ければそこは青森。何か記録を残したくて、ふと思い出す。線路が3本ある、三線軌条さんせんきじょうとかいうんだっけ。外側が新幹線の走る標準軌で、内側が在来線(貨物列車)の走る狭軌。
程なく奥津軽いまべつ駅に停車した。本州最北端の新幹線駅ということになる。ここから乗ってくるお客さんも当然いた。

青森の車窓も撮っておこう。雪の残る山があって似たような風景だけど、どことなく北海道とは雰囲気が異なる。これも気のせいなんだろうか。

そして着いたよ新青森駅。北海道新幹線開業初日とは違い、多くの客が下車した。僕たちは青森県の土を初めて踏んだよ。
改札を通ると、南口か東口にしか出られないようで、仕方なく東口方面に向かって階段を下りた。1階の東口から駅構内に入り、西口まで突っ切る。トヨタレンタカー新青森駅西口店はすぐそこ。便利だわぁ。
青森で最初に目に留まったお店が、兵庫県発祥の丸亀製麵だったことに苦笑しつつ、青森西バイパス経由で青森県観光物産館アスパムの駐車場へ。
館内1階は同じ制服の学生たちで賑わっていた。始業式間もない時期だけど、修学旅行なのかな。巻き込まれないように、奥のエレベーターで10階へと上がる。

お目当ては『みちのく料理西むら』。1981年創業の老舗郷土料理店だ。開店から20分しか経っていないこともあってか、幸い空いている。

靴を脱いで上がると、オーシャンビューのテーブル席に通してもらえた。穏やかな陸奥湾むつわんを見渡せる絶好のロケーション。夏泊半島なつどまりはんとうの向こうに遠く霞んで見えるのは、下北半島か。この日も良く晴れてくれた。
店内は、蛍光灯の和照明やレトロな振り子時計、白黒写真など、まるで昭和で時が止まったよう。だけど注文はタッチパネルからと、アップデートされている。あの頃の疫禍対応だろう。

二人とも津軽定食を。ほたて貝焼きみそ・ほたての刺身・にしんの切込・がっくら漬け・じゃっぱ汁、とこれ一つで津軽の郷土料理を味わえるのが嬉しい。じゃっぱ汁は、けの汁に変更可能で、嫁はそちらを選んだ。
で、これが全部メチャクチャ美味しい!しかもヘルシー。ほたての刺身は肉厚で新鮮。にしんの切込はお酒が欲しくなるし、がっくら漬けはご飯との相性抜群。じゃっぱ汁は魚のアラの出汁が良く効いているし、タラの身も結構入っている。ちなみに“じゃっぱ”は津軽弁で雑把ざっぱ、捨てる物の意らしい(話が逸れるけど、大雑把という日本語はあるけど雑把とは他で聞かないね)。嫁に一口もらったけの汁は、さいの目に刻まれ煮込まれた野菜がたっぷりで優しい。

中でも、ほたて貝焼きみそが絶品!ぶつ切りのホタテを卵でとじたシンプルな料理ながら、味噌とカツオ出汁によって味に深みが出ている。ホタテの貝殻を鍋にした、このビジュアルも良いじゃない。
旅行の醍醐味といえばご当地グルメ。だからこれを食べられるお店を探したんだけど、ホントに良いお店に出会えた!

嫁がお手洗いに行っている間、暇つぶしに「お客様へのお願い」が書かれた張り紙を読んだんだけど、これがまた素敵な内容だったので、かいつまんで紹介しておく。人手不足で混雑時など時間がかかる場合がある、と通り一遍の断りと思いきや、現状に甘んずることなくフルパワーで対応すると力を込め、陸奥湾のような穏やかな気持ちで待ってと粋な言葉で締めくくる。店主さん、素晴らしいよ。

嫁も大満足の食事だったそうだし、僕は僕で『西むら』というお店が好きになった。青森には美味しいものがたくさんあると教わった。
青函トンネルを新幹線で通るという体験も、できて良かった。ほとんど何も見えなくても、通ることに意義を感じる。ある意味史跡巡りに通ずるところがあるね。

【参考文献】
阿部覚治『大函館論』紅茶倶楽部,1923年
国土交通省『日本鉄道史』国土交通省,2012年
青函トンネル物語編集委員会『青函トンネル物語』吉井書店,1986年
福島町(北海道)『津軽海峡・青函トンネル工事の歩み』福島町,1982年

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