三内丸山遺跡で縄文人の営みを学ぶのが楽しすぎた

2025年4月12日土曜日 14:32
三内丸山遺跡さんないまるやまいせきは、青森市にある縄文時代の遺跡。大規模な集落跡であり、千年以上もの長期にわたって定住生活が営まれていたことが、最大の特徴だ。縄文時代の定住集落として、日本最大級のスケールを誇る。二千点近い出土品が重要文化財に指定されており、「北海道・北東北の縄文遺跡群」の一つとして世界文化遺産にも登録されている。
このように、その価値を示すデータに事欠かず、教科書に載っていて誰もが名前を知っているにもかかわらず、何が凄いのかいまいちピンとこない。だけど、現地に行けば実感する。復元建物を並べて縄文時代の“ムラ”の雰囲気が体験できるだけではない。遺跡の実物を見ることもできれば、ガイダンス施設で縄文人の暮らしぶりに触れることもできる。子供から大人まで、楽しく学べる場として整備されているのだ。
みっちり予習していくことが多い僕だけど、敢えて何も調べずに行ってきたよ!

青森の郷土料理でおなかと心を満たした僕らは、一路、三内丸山遺跡第1駐車場へ。結構な台数が停まっており、さすがは有名史跡。
ロータリー中央島の大きな板状土偶ばんじょうどぐうの模型が、ひときわ目を引く。板状土偶を遺跡のシンボルと捉えているのかな。

「縄文時遊館」に入り、券売機にて観覧料を支払う。キャッシュレス決済対応で便利。どこの博物館もこうだといいのだけど。
順路に従って進むと、まずは遺跡のジオラマ。最初に全体を提示してくれるのが解りやすい。純粋にムラの様子のみの内容で、縄文人が駆け回っているような遊びゴコロは無いけど。

その代わりといってはなんだけど、円形通路の壁には板状土偶の模造品が配されていて、なかなかオシャレ。
死角になっている通路の奥から、遺跡から戻ってきたであろう人たちの話し声が響いてくる。隠されているのが期待をあおるね。

その先の「時遊トンネル」で、より一層胸を膨らませる。

トンネルを抜けると縄文時代であった……と言いたいところだったんだけど、白いものがまだまだ残っていてこれじゃあまるきり雪国じゃあないか。ムラよりもそっちに驚いてしまった。温暖な瀬戸内では雪って珍しいからさ。この日はライトアウターで十分なほどの春らしい陽気で、北国の寒さを警戒していた僕たちは拍子抜けしていた。でもこの光景に、遠くまで来たんだと痛いほど理解させてもらったよ。
遊歩道が雪解け水でぐしょぐしょになっている箇所もあり、慎重に歩を進める。

住居と大型建物とどっちから行く?と嫁に振ったら、大型建物と答えてくれたので、そちらへ。大型竪穴建物おおがたたてあなたてものは長いし高い。

その中に入れるのも良い。住居説もあるとのことだけど、空間を見ていると、集会場や共同作業場説を支持したくなってくる。

大型掘立柱建物おおがたほったてばしらたてものがまたデカい。調査や分析結果などから3層の建物と推定か。柱穴の底にかかっていた圧力から計算した結果も勘案しているそうで、そんなことまで判るのかと感服。
ところで、三内丸山遺跡のランドマークで不思議な形をしているなぁと前々から思っていたけど、屋根については諸説あるから単にそこまで復元していないだけなんだね。なぁんだ。

そのさらに奥に、時代に似つかわしくない金属製ドームが目立っていた。無粋だなぁと近寄ってみたら、「ご自由にお入り下さい」とドアに張り紙が。

何があるのかとドアを開けてみたところ、大型掘立柱建物跡の実物展示!無粋だなんてけなしてごめんなさい、これは素晴らしい。直径2m・深さ2mの柱穴が、すべて等間隔に掘られている。およそ2600年前に、ここまでの技術力を有していたというのか。凄いなぁ!外に出て改めて復元建物を見上げ、感嘆するばかり。
穴の中には排水ポンプが置かれていて、じゅるじゅると音を立てて水を吸い上げていた。一帯がこれほど湿った土壌だからこそ、保存状態の良い出土品が数多く発見されたわけね(水に浸かっていると腐食が進まないため)。そんなことまで読み取れた。

気を良くした僕たちは、他の金属建物にも入ってみた。こちらは、北盛土きたもりどを発掘調査された当時のまま展示しているそうだ。土器の破片が散らばっていて、ゴミ捨て場みたい。別の物が混じっていないか目を皿にしてみたけど、何も見つけられず。

北の谷(低湿地)の案内板に、水分が豊富なため通常残らない有機質の遺物が良好な状態で出土云々と書いてあり、先ほどの僕の推測が裏付けられた。

後回しにしていた竪穴建物たてあなたてものの復元は、なんと3種類。茅葺きはあちこちで見かけたことがあるけど、土葺きは初めて。民族例などを参考にしているとのこと。土葺きって暖かそう。

そう思って入ってみたものの、陽射しが遮られるぶんむしろヒンヤリした。この温度差も体感できればこそ。

樹皮葺きも初見だ。荒々しくてカッコいいな。

住居が密集しているエリアは、縄文時代にタイムスリップした気分を味わわせてくれる。
自分たち以外にも、外国人観光客を含む大勢の人々が散策していた。印象的だったのが、小学生のグループや若いカップルが、自発的に学習する姿。嫁も楽しそうだし、整え方が上手いんだろうなぁ。敷地が広大であることも、冒険心をくすぐる。

遺跡を一周したところで、「縄文時遊館」に戻ろう。順路は「さんまるミュージアム」という名の常設展示室を指し示していた。

「縄文人のこころ」コーナーでは、片口付皿型土器がグラタン皿に見えるだの、水晶製石鏃せきぞくが奇麗だのと、好き勝手な感想を抱きつつ進んでいくと、あの大型板状土偶の実物がお目見え。三内丸山遺跡で最大の土偶だとか。道理で象徴になるわけね。
土偶は破壊された状態で発見されることが多い。これも頭部と胴部が少し離れた所から見つかったため、接合している。十字形だから脆い部分からポロっと折れただけに見えるし、意図的に壊すならこう折りそうでもある。こんな平たい土偶は馴染みがないけど、所変われば品変わる。そこに込められた祈りは他の土地と違うんだろうか、それとも……。

「縄文人のくらしをひもとく」コーナーからは、ガラリと変わってポップで親しみやすいムード。「海の恵み」には、例の低湿地から発掘された魚介類の骨が展示されていた。マダイ・ブリ・タラ・ニシン・ヒラメ・カニ・貝類。これまでに50種類以上が出土しているそうで、現代人でも羨むほどの食材の宝庫だ。

「森の恵み」はムササビやノウサギ、リスにテンといった動物のほか、クリなどの植物。
総じて豊かな食生活といえるね。

土器ステージには大小さまざまな土器が整然と並べられており、煮炊きの跡が残る土器も。どんな味付けをしていたのかまでは判らないけど、豊富な食材を調理していたことは確か。
縄文人の食生活の輪郭がおぼろげながら掴めてきて、興味深い。

僕が一番観たかったのが、この編籠あみかご。何のメディアで知ったかまでは覚えていないんだけど、現代の竹工芸などにもみられる網代編みあじろあみという手法で編まれているというその技巧と、これだけ繊細なものが数千年の時を超えて残っている奇跡に、強い感銘を受けたことだけがずっと胸に刺さっていたんだよ。や~、お目にかかれて感慨無量。何枚も写真を撮っちゃった。「縄文ポシェット」なんて愛称が付いているのは知らなかったけど。

土偶をこんな風に飾られると、余計にアート作品に思えてくる。時期ごとに流行がみられるんだって。へぇ~!

装飾品は色とりどり。魔除けや儀礼の意味もあったろうけど、アクセサリーで身を飾る風習もきっとあったに違いない。
ファッションを楽しんでいたのだとしたら、食事だって生きるためだけでなく味にも凝っていたかもしれないね。

“ムラの外”へと旅立つ男性と、それをどこか淋しげに見送る犬と、お墓に花を手向ける女性。物語性のある配置だ。
大人のお墓と子供のお墓とで埋葬の仕方が異なるというし、縄文人の死生観ってどんなだったんだろうね……。

「広域なネットワーク」と題したコーナーでは、遺跡における交易・交流がいかに広範囲にわたっていたかを、地図上で表していた。北は北海島東部から南は新潟・富山までと、500km以上に及んでいる。これだけ人と情報が行き交っていたのなら、その知識や技術の質と量にも頷けるというもの。
他に、「江戸時代の三内丸山」の紹介などがあり、また今度調べようと思ってメモだけ取った。

常設展示室を出て歩いていくと、ミュージアムショップ。『三内丸山遺跡ガイドブック』を忘れずに購入した。図録的なものはいくらあっても困らない。

退場口を通って、最後は「あおもり北彩館」三内丸山店。遺跡にちなんだお土産を探したところ、あったあった、「手作り板状土偶クッキー」。そうそう、こーゆーのを求めていたんだよ。手作りだから同じものは二つと無いといい、特別感がある。両実家用と自宅用にも買った。

館外へ出るとそこは、入口の前。順路通りに歩けば、ひと巡りできる構造になっているんだ。見事なアプローチ!
興味さえ持っていれば、手ぶらで学べるよ、ここ。絶賛しすぎかな。いやいやマジで凄いと思うよ僕は。

何千年もの大昔と聞くと、想像もつかない遥か遠い世界かと思いきや、現代人の心情にも相通ずる物事のなんと多いことか。縄文時代がぐっと身近に感じられるようになった。ヒトの本質というものは、不変なのかもしれないね。面白かったー!

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