枚岡神社と弁天池公園
2020年11月29日日曜日
13:40
神武東征伝説ゆかりの地であり、謎多き中臣氏の河内における本拠地でもあるので、参拝したかった一社だ。駒碧さんが行きたい場所として挙げたことで、その機会を得たよ。
奈良駅前のスタバでコーヒーを飲みながら駒碧さんを待ち、合流したら車で出発。第二阪奈道から阪神高速東大阪線を走り、東大阪荒本出口で下りる。地名を見て石切劔箭神社も行きたいよね~なんて話をしつつ、花園ラグビー場横を通り、暗越奈良街道をかすめて、枚岡神社に到着。
駐車場が意外と埋まっているなと思ったら、七五三詣で客が多いようだ。
正面から入りたいので、二の鳥居のほうまで戻る。参道は東に延びている。西を向いたら、近鉄枚岡駅がすぐそこにあった。
参道広場の先には、2本の矛が立てられていた。その奥の注連柱には変わった飾り。
狛犬の代わりに神鹿。主祭神の1柱・タケミカヅチの伝承にちなんだものというわけだ。なで鹿でもあるとのことだが、時世柄、不特定多数が触る物を撫でるのは躊躇われた。
銅板葺の拝殿にてお参り。
隣の授与所で駒碧さんは御朱印をいただいた。
いつものように本殿も確かめる。様式は一間社春日造。
主祭神はアメノコヤネ・比売神・フツヌシ・タケミカヅチの4柱。奈良の春日大社の創建にあたり、コヤネさんとヒメ神さんを分祀したことから、“元春日”とも呼ばれるそうだ。逆に春日からフツさんとミカさんを勧請して、同じく4柱をお祀りするようになったとか。本殿の様式もおそろい。ちょっと要素が多すぎて、ロマンが心から溢れるー!
そのあと、神社創祀の地まではハイキングになるけど、行くか駒碧さんに訊いたら、登ると。というわけで登拝コースへ。道標には距離ではなく、10分割のどこまで来ているかの指標が記されていた。
軽い登山だけど、山道はほぼ丸太階段で整備されていて、明瞭。階段を見上げてはげんなりする彼女を励ましながら、登っていく。
この枚岡山から額田山にかけたエリアは、ハイキングコースがたくさんあるようで、途上いくつもの分岐点にぶつかった。
山頂まであとひと息というあたりで、枚岡展望台があった。せっかくなので立ち寄る。これが見事な眺望で、気持ちが良いね。あべのハルカスまではっきり見渡せる。遠くに薄っすら見える稜線は、六甲山地。しばらくベンチに腰かけて休憩した。自分たちのいる山の影も見えて面白い。
本宮の入口にも、揚巻の付いた注連縄が。
そして、神津嶽に登頂。駒碧さんのペースに合わせて、ここまで40分。山岳・磐座信仰の名残を留めているようで、中臣氏、ひいてはコヤネさんがどこから来たのかに、思いを馳せた。
枚岡神社の創祀について、後鳥羽天皇勅撰の『
神武天皇がナガスネビコを退治するときに勧請した。とある。また江戸期の国学者・
河内に着いた神武一行が生駒山を越えようとしたとき、ナガスネビコに迎え撃たれ、一旦退いて天神地祇をお祀りした場所が、当社である。と。
アメノタネコさん、宇佐でウサツヒメと結婚して、河内でコヤネさんとヒメ神さん祀って、そのまま代々祭祀を続けて平岡連になり中臣氏へ……と。少なくとも河内の中臣氏は、ここが本拠地と考えてよさそう。
山は登るより下りるときのほうが、ある意味キツい。特に階段は足に来るんだよね~。おまけに落ち葉がふわふわに積もっているところで、滑って転んだし。手をついたお陰で、ほとんど汚れずに済んだけど。それでも、山って楽しい!
次は、枚岡神社から大阪外環状線を北上して、門真市の弁天池公園へ。駐車場が空いていて良かった。
園内を歩き始めたらすぐ、目的の池が見えた。
弁天池公園にある弁天池は、河内湾、河内湖の名残といわれ、太古には生駒山の麓まで海が迫っていたとか。難波の海岸線は、今とまるで違ったわけね。
日本書紀の神武天皇即位前紀には、
とある。難波碕 に着いて、川よりさかのぼり、河内国の草香邑 の白肩 の津に至った。
神武東征の時系列でいえば、枚岡神社の話の直前。一行は、海から河内潟を経由して日下村に上陸したんだろう。イワレビコさんたちも、生駒山を望みながら船を進めたのかなぁ……この景色こそロマン。
……他に見るものないから、滞在時間はたったの5分。駒碧さんの切り替えの早さが印象的だった。でも、神話を知らなければなんでもないこの風景を眺めながら、気持ちを分かち合えるのは、やっぱいいね。
時刻は正午を迎えようとしていた。どこかでランチをと探してみるも、目ぼしいお店は無し。相談して、サイゼに決めた。安くて美味しいから、下手なとこよりよっぽど良いけどね。近くにあって助かった。