菅原の里をゆく

2019年11月17日日曜日 22:35

菅原って地名は古く、元明天皇こと阿閇さまが行幸なさった地として、続日本紀にも登場する。
和銅元年九月壬申(14日)行幸菅原。
菅原氏の本貫地で、道真公生誕地とする説もある。菅原天満宮遺跡天神堀・菅原天満宮・喜光寺(菅原寺)と巡ってみた。

休憩を挟んで近鉄奈良駅へ行き、大和西大寺駅まで電車移動。混んでたから写真撮れなかったんだけど、近鉄の車窓からの朱雀門をようやく見た。オギがいい具合に穂を垂れてて、メチャメチャ絵になってた!しかも信号待ちがあったから、ほぼ止まった状態でその光景をじっくり見られたんだよね。なんのサービスかと。
大和西大寺駅に着いて改札探して出たら、北口に出てしまった。構内ややこしいな。少し西に行くと線路を潜れる地下通路があり、無事南に向かうことができた。
中央分離帯のある真南に延びる道路沿いにマンションが建ち並び、歩道も広く、いかにも新興住宅地といった様相だ。奈良駅周辺とはまるで雰囲気が違う。


秋篠川の支流を跨いだところで西に曲がり、突き当りを左に進むと、菅原天満宮遺跡天神堀があった。この池は菅原道真らの生家・菅原院の一部だという。しかし天神さんの生誕地は、諸説あり過ぎるんだよね。彼の曾祖父がこのあたりに居住していたのは、確かなんだろうけど。
それにしても、民家のすぐ横に残されている。カメラ向けにくいわ~。


続いて菅原天満宮。菅原氏発祥の地に立つ天満宮にしては、ひと組の七五三祝いの親子がいるだけで、ひっそりしている。


ともあれ拝殿にてご挨拶。御祭神はアメノホヒ,野見宿祢のみのすくね,菅原道真。アメノホヒを祖神とする野見宿祢は土師氏はじうじの始祖。土師氏から改姓し分かれたのが菅原氏。菅家一系の三神をお祀りしているわけだ。


そう広くない境内に、いくつも神使である牛の像があって笑った。だいたいどこの天神さんにも付き物だけど、ちょっと多すぎ。あっちを見ても牛、こっちを見ても牛。もっと他に奉献するものあるやん!


境内社を巡りつつ本殿の裏手に回ったんだけど、壁面の傷みが気がかりだ。直せないのかな……。


菅原天満宮から国道308号に向かって南下すれば、巨大な御堂が見えてきた。喜光寺きこうじの本堂だ。


南大門。新しそうだと思ったら、2010年の再建だとか。


仁王像の引き締まった肉体がめっちゃカッコいい。中村晋也氏の制作だそうだ。
一礼して境内へ。入山料を納める所が見当たらず、貼り紙がしてあった。一番奥の本坊で入山料を納めるよう促す内容だった。参拝者のモラルを試すというか、人の良心を信じているというか。


本堂。行基ぎょうきが、東大寺大仏殿を建立する際の雛型として建てたといわれ、“試みの大仏殿”と呼ばれているとか。とはいえ創建時の建物は焼失し、現在はいずれも再建されたもの。
堂内の御本尊は阿弥陀如来坐像。だけど現在修理に出されていて、代わりに大きなパネルが置かれていた。観音菩薩と勢至菩薩の両脇侍は安置されていた。ここにも誰もいない。見張ってなくて大丈夫なのか。スゴいな。


僕の一歩先を行く参拝者が一人。釈尊初転法輪像や石仏、弁天堂と、彼と一定の距離を取りながら回る。微妙な空気。


行基堂にて行基菩薩像に手を合わせる。
喜光寺はもと菅原寺すがわらでらと呼ばれ、養老五年(721)に行基が創建した。
と『行基年譜』は伝える。
一方『菅原寺起文遺戒状』には、
霊亀元年(715)に元明天皇の勅請で建立した。
とある。阿閇さまの勅願寺となれば、俄然僕も気になる!だけど、養老元年(717)に元正天皇(阿閇さまの娘)が、勝手に布教活動した僧を法律に反するとして糾弾しているんだよ。なのに、阿閇さまの願いで建てられたお寺に、行基さんが関わるなんてあり得ないと思う。


行基堂の横に歌碑。
大き海の 水底深く 思ひつつ 裳引き平らしし 菅原の里
菅原の里を詠んだ唯一の万葉歌だ。詠み人は石川郎女いしかわのいらつめ

最後に本坊に入って、入山料を納めた。ここにはちゃんと人がいるんだね。不思議な体制。

離宮跡、離宮跡(推定)、御陵、離宮跡、行幸地と、阿閇さまの足跡を辿って、とてもとても充実した旅だったなぁ。やっぱ明確なテーマがあると満足感が違う。今後も心掛けていこう。

さて、ここから長めの余談。
昨年同様もうひとつの目的・京都東方即売会があって、みやこめっせまで向かう。

大和西大寺駅まで戻ってホームに待っていた電車に乗った。ら、それが近鉄橿原線で、奈良駅には行かない。慣れない駅でよく確認もせず行動するのが悪い、と反省。次の尼ヶ辻駅で降りて、奈良ゆきのバスが無いか時刻表を見てみると、5分後にある。しかし奈良方面の乗り場はそこではないらしい。周囲をうろうろしてみたが、結局どこかわからない。
どうせ歩くんだし、このまま徒歩で奈良駅まで行ってしまえ。とはいえ、4キロ弱離れており、40分ほど掛かる。それだと予定しているみやこ路快速の定刻に間に合わない。となれば、走るしかない。乗り場を見つけられなかったバスに追い抜かれて悲しくなりつつ、国道308号を東へと走った。だけど、赤信号で何度も足止めを食らう。走り続けるのもキツいから、休み休み急いだ。
ギリギリだな~、無理かな~と、半ば諦めながら奈良駅のホームに上がると、なんとまだ来ていない。間に合った……!乗車して安堵したものの、拭いても拭いてもなかなか止まらない汗。車内アナウンスで判ったけど、紅葉のため乗客が多く遅れているとのこと。臨時で稲荷駅にも停車するそうだ。そうか、シーズンに救われたのか。
稲荷駅を見ることなく六地蔵駅で下車し、京都市営地下鉄東西線に乗り換え、東山駅まで。あとは一年前と同じ道順でみやこめっせまで歩くだけだ……と思ったのに方向を間違える。ダメダメだ。

そんなこんなで会場に着いたら、わたり雪さんのスペースに行って挨拶して、お札数えるの手伝ったり、荷物番したり。
イベントが無事終了し、GWに集まった5人が再び集結。神宮道を歩いて、青蓮院門跡の前を過ぎ、知恩院の境内をいつの間にか通り、八坂神社を少し離れた位置から拝み、四条通へ。人々がひしめき合う狭い歩道を西に進み、10月に改称したばかりの京都河原町駅から阪急に乗って大宮駅へ。そうして湯葉料理のお店に到着。足裏も足首もふくらはぎも痛くても、人間前に歩けるもんだなって学んだ。トータル20キロくらい踏破してるもんな。
湯豆腐や湯葉を堪能したあと、みんなと連歌をやって遊んだんだけど、上手い句が詠める人が一人いると、なんだかんだ形になってスゴいなっていうか、面白かったぁ。五七五七七を5人でバラバラに担当して、テーマだけ決めて闇鍋的に一首にするっていう、雅なようでアホな遊びも、ぶち壊しにする一人がいると大爆笑必至の歌が出来上がって、これまたメッチャ面白かった!
最終的に酔っ払いばかりになり、最年少に京都駅まで送ってもらうという、非常に情けない大人たちがいたことも、記しておく。気の置けない仲間たちと飲む酒ほど、旨いものはないんだもん。

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