法華寺と海龍王寺と別れの時

2019年5月3日金曜日 22:56
旅の締めくくりは不比等くんち(法華寺)と不比等くんち(海龍王寺)。いいなー、こんな平城京の一等地に邸宅構えてたのかー。歩いて距離を体感したから、なおさらそう思った。


休息できたところで、平城宮跡資料館からまずは宇奈多理神社まで、平城宮跡を横断。すっかり気持ちの良い青空。朝にもこれが欲しかった~。
ケンボイさんとは、ここからしばらく別行動。唐古・鍵遺跡に行くそうだ。弟たちとも約束したことだとか。
ここまであまり絡みのなかった、夢跋扈さんと話しながら歩けたのが良かったなぁ。早朝一人で行った場所なので、すいすい案内できる。宇奈多理神社は縁起不詳とあってか、行きたがった割にみんなの食いつきが弱かった。


それから法華寺ほっけじへ、標識を頼りに向かう。
途中、駐車場になった空き地の隅に立つ、文字の刻まれた石柱を見つけた。みんなで判読を試み、『天皇宮法華寺神社』と読めた。奥に鳥居が見えたから、確かに神社があるようだけど、門扉が閉ざされていた。法華寺の鎮守社だろうか。


法華寺の南大門。ここからは出入りできない。
法華寺は略称で、正式には法華滅罪之寺ほっけめつざいのてらという。


境内へは東にある赤門から。『総国分尼寺 法華寺門跡そうこくぶんにじ ほっけじもんぜき』と掲げられている。
法華寺は、元は藤原不比等の邸宅で、彼の没後娘の光明皇后の宮となり、聖武天皇の出された国分寺・国分尼寺建立の詔にそう形で、皇后の発願により総国分尼寺として創建された。
門跡とは、皇族などが入寺する寺院のことで、寺格を示す平安期以降の称号だが、光明皇后が寺院建立後も住まいとされたことに由来しているんだろう。
尼寺だからなのか皇后ゆかりだからか、女性の参拝客の姿が目立つ。


拝観料を納めて境内に入ったら、本堂の前に立つ。お堂自体は安土桃山時代末期の再興だけど、かつてこのあたりに不比等くんのお家があったんだなぁって思うと、胸にロマンが溢れてくるの。それは駒碧さんも同じようで、疲れを忘れて嬉しそうに笑っていた。
もちろん堂内も拝観。御朱印拝受組は受付に預けていた。
入ってすぐのところに、木造維摩居士坐像ゆいまこじざぞう。天平末期の名品で、国宝だ。藤原鎌足が創始したとされる仏教行事・維摩会ゆいまえは、興福寺で最も重要な法会ほうえで、一時期法華寺に移されて行われていて、その時に造立された像らしい。こんなところでも鎌足さんと縁があるなんてね。
御本尊は国宝・木造十一面観音立像。秘仏のため普段は非公開で、代わりに御前立ちおまえだちが安置されていた。光明皇后がモデルとされ、御前立ちにもどことなく艶やかさが感じられる。静かに手を合わせた。


境内を出る時、桜でまりに彩られた護摩堂の美しさが、目に留まった。池に浮かんでいるように見える。
友人と寺院参拝したのって初めてだな。仏像などとの向き合い方にも違いがみられて、なかなか興味深い体験。


続いては隣の海龍王寺かいりゅうおうじ。隣といっても、山門まではぐるっと回っていかないとならない。
法華寺とは打って変わって、境内には植物が勢いよく生い茂っており、狭く感じる。
海龍王寺も、元は不比等の邸宅。ただ、その前は土師氏はじうじの土地で、氏寺もあった。不比等が譲り受けた際に、寺院を取り壊さなかったため、邸宅の北東隅に残ることとなった。これが由来で隅寺すみてらとも呼ばれる。不比等が亡くなったあと、光明皇后が相続したのも法華寺と同じ。遣唐使と共に学問僧として唐に渡った玄昉げんぼうが帰国後、聖武天皇・光明皇后により当寺の住職に任じられる。その際、寺号を海龍王寺と定められたという。

本堂を謹んで観覧。
御本尊はこちらも木造十一面観音立像で、重文。光明皇后自身が彫った仏を基に、慶派の仏師により造立されたとか。秘仏なんだけど、この日は特別開帳の実施期間で、その見事な姿を拝めたのは、縁だよね。巡り合わせに感謝々々。
また、光明皇后の筆と伝わる自在王菩薩経が展示されていた。父・不比等と母・県犬養橘三千代あがたいぬかいのたちばなのみちよのために写経したということや、綺麗な字そのものに目が行く。一方、夢跋扈さんとハマさんは、皇后の字の癖を探しては、その人柄に迫ろうとしていて、なるほどそういう見方があったか!と、目から鱗。や~、面白い。
あ、本堂の写真撮り忘れた。


西金堂の中に安置された五重小塔を覗く面々。国宝の五重小塔は、4mほどの高さながら細部まで精巧に作られていて、見応え十分だ。

不比等くんちの見学を終えた僕たちは、奈良駅周辺でケンボイさんと合流すべく、バス停に向かう。これも朝利用したから、場所を押さえている。ただ、渋滞の影響か、定刻を過ぎてもバスがまったく来ない。他の待ち客も、自分たちの後ろにずらずら並んだ。各々Twitterを開くなどして暇を潰したが、待ちくたびれたよ。
ようやく巡ってきたバスに乗る。駒碧さんの隣席に座った夢跋扈さんは眠そうだ。僕は意外なほど足の疲れが軽いので、立つことを選択。近くに着席したハマさんから、なぜ不比等公(彼はこう呼ぶ)が好きか聞いたりなどした。
案の定渋滞に巻き込まれつつ、近鉄奈良駅前で下車。コンビニに寄ってから、近鉄奈良ビルのサイゼに行った。旅の最後がサイゼなのは、夢跋扈さんと駒碧さんの希望だ。少し待たされてから、席に通された。
銘々好きな物を注文。白ワインのデカンタを駒碧さんと分け合った。エスカルゴとよく合うんだ。夢跋扈さんは育ち盛りだからたくさん食べる。クマさん、ここにサーモンは無いからね。程なくしてケンボイさんもやってきた。
駒碧さんとハマさんからは手土産を頂いたりもした。まさかこんな所まで持ってきてくださっていたとは。

他愛のない雑談を楽しくしていても、別れの時がいよいよ迫る。
まずケンボイさんが、大阪南港発のフェリーの時間があるので、抜けることに。
次は僕だ。すると、全員店を出ることになった。奈良旅を続ける夢跋扈さんは元興寺などに行くようで、ビル1階でお別れ。彼を弟のように可愛がっている駒碧さんは特に、名残惜しそうにしていた。
新幹線に乗るハマさんは、京都ゆき近鉄特急。
嫁に土産でも買って帰ろうと思い、駅ナカショップを駒碧さんと物色。だけどレジが混雑していて、予約した特急に間に合いそうになく、断念。駒碧さんと別れた。「ハルさんとはまたすぐ会えそうだよね」。うん、たぶんどこかの即売会で。

近鉄特急の指定席に座り、旅に余韻に浸る……で、車窓から朱雀門を見るの忘れちゃった。アホや……なんのために近鉄乗ったんだよ。
ふっと独りになって、しんみりした気分。五人で過ごした時間が楽し過ぎた。人生で初めて味わう感情が湧き起こってくる。寂しさと充足感が入り混じった、とても不思議な。
計画していたことを全部やり切った、というだけじゃない。もっと大きな体験をしたように思う。嫁と二人きりでまったり巡る旅はもちろん大好きだけど、それとはまた異なる、深い知識と行動力を持った仲間と行く旅にも、大きな魅力があるってこと。
返す返すも、なんて素敵な人たちと旅行できたんだろう。元々は、行きたい所やりたいことが合えば一緒に行動して、臨機応変に単独行動もありっていう、緩い集まりのつもりだったの。ふたを開けてみれば、こっち行きたい→いいね!あれやりたい→やろやろ!と一致することばかりで……。
ただ好きなことをやっていただけなのに、いつも仲間がいるっていう。歴史の込み入った事情からバカなネタまで、何を話すにしても打てば響くような言葉が返ってくるっていう。そりゃあ別れたくなくなるよ。
自分を含め五人というのも丁度良かった。大人数だと一歩引いちゃうから。あらゆる意味で最高。
独りだったら尻込みしていたであろうことも、みんなのお陰でいっぱいいっぱい経験できた!駒碧さん、ケンボイさん、夢跋扈さん、ハマさん……心から、ありがとうございました!!!(何回言っても言い足りない)また遊んでくれたら嬉しい。

サイト内検索