談山神社で蹴鞠体験

2019年5月2日木曜日 17:09
五人旅最初の予定は、談山神社たんざんじんじゃでの蹴鞠けまり体験。鞠装束に身を包み、春秋に催されるけまり祭りと同じ“けまりの庭”で、鹿革の鞠を、気の済むまで蹴って楽しめる!なんなら中大兄皇子と中臣鎌足ごっこだってできる!蹴鞠自体はただ蹴るだけでも難しい。なのにメチャクチャ楽しかった!!これでひとり2千円は安すぎるでしょ……。

駐車場の脇にある階段を下りて坂を下ると、門前の参道に出る。茶屋や土産物屋の前を通れば、談山神社の正面入山入口受付だ。
けまり体験の予約をしてくれた駒碧さんが受付に申し出て、体験料を納めた。5名以上ならひとり2千円。あとは、石段の上の授与所に行けば良いとのこと。受付の方にお礼を口々に言って、鳥居をくぐる。あれ、体験料に入山拝観料も含まれているわけか。
140段を上りながら、境内の景色を撮影する面々。二度目の参拝となる僕は、悠々と最後尾からついていった。
授与所で用件を伝えると、神職さんが二人出てこられて、神廟拝所へと案内してくださった。中でまずは鞠装束に着替えることに。数種の色があったので、銘々好きな物を選んでいく。僕は残り物で。
本物ではなく体験用の簡素な物というが、着付けは素人には難しい。鞠袴まりぱかまを履いて、鞠水干まりすいかんを羽織って、鳥棺子えぼしを被って。こういうのは下手に手を出すより、神職さんにお任せしたほうが、綺麗にしてくださるというもの。間近で帯の結び方などを見られたけど、すぐには真似できそうになかった。剣道着とは違うなぁ。
全員の着替えが終わり、お互いの姿を見比べる。男装になるわけだけど、駒碧さんは若草色がとても似合っているし、夢跋扈さんの着こなしぶりは、まるで違和感がなかった。まだ何もしていないのに楽しい。

神廟拝所から出た広場が“けまりの庭”。履物だけは自分たちのスニーカーなどだ。
神職さんが蹴鞠のやり方について丁寧に教えてくださった。鞠を足で蹴って地に落さないように続けること。勝敗は無いこと。掛け声「アリ」で鞠を受け、「ヤー」で相手に渡すこと……などなどルールは他にも細かくあるが、守ろうとすると楽しくないので、好きなようにやったら良いとのこと。鹿革の鞠は優しく取り扱ってほしい、特に時間制限は無いのでやめたくなったら声を掛けてほしい、という内容だった。

では蹴鞠を始めよう……とはならず、何は無くとも中大兄皇子と中臣鎌足ごっこ!中大兄が蹴鞠をしていてくつが脱げ、それを鎌足が拾って捧げたことが、二人の出会いという逸話に因んだものだ。
日本書紀には、
中臣鎌子連、為人忠正、有匡済心。~中略~偶預中大兄於法興寺槻樹之下打毬之侶、而候皮鞋随毬脱落、取置掌中、前跪恭奉。
とあり、 藤氏家伝にも、
儻遇于蹴鞠之庭、中大兄皮鞋随毬放落。大臣取捧、中大兄敬受之。
との記述がある。中臣鎌子連とか大臣とあるのが鎌足のことで、法興寺は飛鳥寺のことだ。つまり出会いの場は談山神社とは関係ない。ただし、二人が談合した多武峰とうのみね談い山かたらいやまと呼ばれるようになり、それが社号の由来となっている。
ともかく、中大兄と鎌足の二人とゆかりの深い場所で、蹴鞠ができる!そこが大事。そもそも鞠装束を着て蹴鞠体験ができる所なんて、そうそうないしね。

スニーカーでは味気ないあるいは脱げにくいと考えたのか、ハマさんが神職さんに、何か履物を用意できないか相談。うおぉ、攻めるなぁ。この歴オタたちの唐突で無理な要望に、「草履くらいならあったはず」と他の若い神職さんに指示して、応えてくださった。なんて良い人なんだ……。
脱げやすい(?)草履を入手した僕たちは、鞠をパスする役・沓が脱げる中大兄役・沓を拾う鎌足役を、代わる代わる演じた。鎌足の息子の不比等ふひとが好きな僕は、蹴鞠の庭で沓を拾う経験ができて満足。


本懐を遂げたところで、本題に入ろう。
庭一杯に輪になって広がり、相手は誰でもいいから、とにかく鞠を蹴渡す。が、できない。
サッカー経験者ゼロ、事前のリフティング練習だって誰もしてこなかった。ということを抜きにしても、蹴鞠の難しさは想像を超えていた。ただ鞠を蹴り上げるだけで、これほど難儀するとは。3,4回受け渡しが続けば良いほうといった有様。蹴った鞠が誰の元にも届かないこともざら。
そんななか、ハマさんは高く蹴り上げられるようになっていった。滞空時間が長いと、渡された側も受けやすい。蹴鞠が上手なクマさん。
彼はさらに、様子を見守っていた神職さんにスマホを手渡し、動画撮影までお願いしてしまった。これまた快く引き受けてくださったから、もう感謝しかない。
鹿革の鞠は、あまり強く蹴るとべこべこに凹んで、さらに扱いが難しくなる。蹴り続けていたら、また元の形に戻ったり。
装束を着て蹴鞠を楽しむ一団というのは、当然だが傍目から見て目立つ。他の参拝客たちのカメラが、いくつも僕らに向けられた。撮るのは構わないが、ネットにアップするのは勘弁してよね。
特に区切りが決められていないから、やめどきがわからない。あと3回ハマさんが蹴ったら終わりにしようと、駒碧さんが提案してくれたので、皆同意した。そして、程なくして終了。
ほぼ失敗しかしてないのに楽しかったぁ~!保存会の方々は、これを朝から夕方までやれるのか、凄いな。五人とも、難しいけど楽しかったと口を揃えた。


装束を脱いだら、流れで神廟拝所内を拝観すること。そのまま神職さんがお付き合いくださり、解説まで賜った。
中央に鎮座するのが木造の藤原鎌足公御神像。向かって右に鎌足の化身・勝軍地蔵、左に不比等公像。今の僕の興味が最も強いのが、藤原不比等。正座して手を合わせた。以前訪れたときは、ほとんど気にも留めなかったのになぁ。
一通り見回ったら、拝所を出る。お世話になった神職さんに、心を込めてお礼を言った。


十三重塔の横を通って、拝殿からの本殿参拝へ。御朱印を授かる組は授与所に寄っていた。
主祭神の藤原鎌足が座す本殿を向いて、合掌。ここでは神式より、このほうがしっくりくる。
五人固まることはせず、思い思いに拝観。出る時に再集合した。
権殿の奥にある登山口の先へ登ってみるという案も出たけど、時間の都合でやめることになった。なお、御破裂山ごはれつざんには鎌足の墓所がある。また本殿の裏山は、社号の由来となった談い山だ。


続いて東殿とうでん。恋神社ともいうらしい。鎌足の妻の鏡女王かがみのおおきみ,長男の定恵じょうえ,次男の不比等がお祀りされている。
駒碧さんが彼女の推しである不比等くんの元で恋みくじを引いていたのが、微笑ましい。


境内から出て、十三重石塔へ向かう。淡海公たんかいこうの墓所とされ、峯の塔とも呼ばれる。
淡海公とは不比等の別名だ。続日本紀天平宝字四年八月甲子(七日)の条に、
宜依斉太公故事、追以近江国十二郡、封為淡海公。
とあり、不比等の栄達を讃え太公望の故事にちなんで、淡海公の名が贈られている。淳仁じゅんにん天皇の時代だが、実質、藤原恵美押勝ふじわらえみのおしかつの意向だろう。
不比等の墓所は諸説ある。ここもそのひとつだけど、この場所に眠っているかどうかはわからない。ただ、彼のために祈る場所であって良いと思うので、静かに手を合わせた。


駐車場に戻って車に乗り込み、行きに位置を確認しておいた気都和既神社けつわきじんじゃへ。夢跋扈さんが見つけてくれた、鎌足ゆかりの地だ。
空き地のある広い路肩に車を停め、車道脇のコンクリート舗装された下り坂を歩いた。


主祭神は気津別命ケツワケノミコト。ケツは食物の意で、ワケは統治権を分かちあうという意の称号。ケツワケは、当地を支配していた豪族もしくは守護神だろう。二礼二拍手一礼。
隣は、明日香村の尾曽おおそ・細川の神社に祀られていたアメノコヤネを合祀したお社か。中臣氏の祖神なので、こちらの御祭神は鎌足に縁があるね。

境内は“もうこの森”と呼ばれるそうで、『中臣鎌足(藤原鎌足)が飛鳥板葺宮で暗殺した蘇我入鹿の首に追われて、ここまで逃げ込み「もう来ぬだろう」といったことに由来する』(境内案内板より)とのこと。飛鳥宮から神社までは約3キロ。入鹿さん怖ぇ。


鎌足が腰掛けたと伝わる石もあった。後ろを振り返り、ようやくひと息吐いた所なのかな。
路の傍らに佇む地蔵を巡って、ハマさんと夢跋扈さんにより仏教系知識が披露される一幕もあり、なんだかよくわからないがとにかく凄い人たちと旅してるんだって痛感した。

みんなで蹴鞠を大満喫!それから藤原の祖、鎌足・不比等親子をお参りと、最初から濃厚な五人旅。
次は奈良市内で宴を開くのだ~。

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