宇治上神社と宇治神社
2018年11月9日金曜日
16:44
宇治若郎子 造桐原日桁宮以為宮室 因御名号宇治。とあり、宇治上神社がまさに桐原日桁宮跡とされる。
(ウヂノワキイラツコが桐原日桁宮 を造り住んでいたので、皇子の名にちなんで宇治と名付けた)
平等院に行ったときに寄りそびれていたので、今回の旅程に組み込んでみたよ。
京博での展示を満喫したあと、まだ少し時間がある。宇治まで足を延ばしていいか嫁に確認して許しを得たので、車を南下させた。
宇治上神社の参拝客用駐車場は『さわらびの道』沿いにあった。こうして離合の難しい狭い道ばっか走ってる気がする。
駐車場には張り紙がしてあり、要約すると「駐車したまま他の観光地へ行ったら罰金払え」と。よほど腹に据えかねているのか、警告色の強いもので。僕らはそんなことするつもりなどないので、関係ないといえばないのだけど、読んでいてあまり気分の良いものではなかった。雨がちらつく曇り空と相まって、鳥居をくぐる前からげんなり。
気を取り直して、境内へ。
宇治七名水で唯一現存するという『
国宝の拝殿にて拝礼。やっぱ檜皮葺だとカッコいいなぁ。
宇治上神社と隣接する宇治神社は二社一体で、離宮上社、離宮下社と呼ばれていたそうだ。その在り方が賀茂社に似ているね。
拝殿の裏手に回ると、本殿。こちらも国宝。一間社流造の内殿3棟が並び、それらを
内殿の御祭神は、向かって右から、
風土記逸文ではウヂノワキイラツコの名前から地名になったとしているけど、実際は地名が先にあって、この地で養育されたなど何か関係があったことから、彼の名前にウヂが付いたんだろう。
ウヂノワキイラツコについて、古事記には夭逝されたので仁徳天皇が即位したとしか記されていないが、日本書紀によると仁徳に譲るために自死されたと。ゆえに悲劇の皇子ともいわれる。
また雨が降り出したので、傘を差して境内社巡り。
他に、春日神社(タケミカヅチ・アメノコヤネ)、厳島社(イチキシマヒメ)、武本稲荷社(ウカノミタマ)。
稲荷のそばに『武本大神』、『武比知大神』と刻まれた石碑があった。寄進者の名前か何かだろうか。
車に戻り、続いて宇治神社へ。駐車場があると聞いていたのだけど、それらしいスペースには入ることができなかった。やむなく宇治駅方面に向かって、コインパーキングを探した。
宇治川沿いに歩いて戻っていくと、朱い朝霧橋が。橋のたもとには『宇治十帖モニュメント』もあった。宇治といえば、源氏物語とも縁の深い場所だよなぁ。
振り返れば、宇治神社の入口。
案内板によれば、
『菟道』は“ウサギの案内した道”という見方もできそうなお話だよね。土地々々に転がっている話を知るのって、楽しい。
社務所を守護する狛犬の、スッゴい胸を反らした姿がユニーク。しかも左右どちらも阿形。思わず笑ってしまった。
手水舎にもウサギ。
宇治神社では、ウサギを『みかえり兎』と呼び神の御使いと伝わっているとか。
拝殿からお参り。
御祭神はウヂノワキイラツコ。仁徳天皇が弟の死を悼んで宮に祠を祀ったのが、始まりだそうだ。
横に回って本殿の姿を確認。
手前の屋根は幣殿かと思ったら、ただのテント。雨中に神事をする必要があったんだろう。
境内社は簡単に列挙しておこう。春日神社,日吉神社,住吉神社,伊勢両宮,高良神社,松尾神社,広田神社。
拝殿の手前には、“智恵の輪”と称してあったけど、いわゆる
宇治上神社にしろ宇治神社にしろ、そこそこ参拝客がいたなぁ。平等院のついでに、こちらまで巡る人が多いのかな。学生の姿も目立った。
参拝し終えたところで、お茶にしたくなった。調べてみると、宇治川の対岸にならお店がある。
さっき見た朝霧橋を渡り、橘島を経由して橘橋も渡って、平等院表参道に面したスタバで休憩。お茶の本場宇治でわざわざスタバに行こうなんて人はそういないからなのか、15時なのにすんなり席を確保できた。嫁のためにも、帰路に就く前に休めて良かったよ。抹茶ケーキを選んだけど、単に食べたかったからで、別に意識してないからね。
離宮上下社はどちらも良い空気。風土記のたったひとつの説話だけを求めて行ったけど、宇治の深い歴史に触れた思いがする。
今度は晴れた日に、大吉山展望台や宇治橋のほうにも行きたい。