飛鳥宮跡と天武・持統天皇陵
2017年12月3日日曜日
20:32
明日香村役場の北に位置する飛鳥宮跡。この史跡は4つの宮殿の跡など数多くの遺跡を含んでいる。舒明天皇の
ランチのあと、道標を頼りに飛鳥宮跡へと歩いた。明日香村は観光に力を注いでおり、主だった観光地には、こうして地図を持たなくても行くことができる。有り難いし、地味だけど大事なポイント。
民家と畑に挟まれた細い道を進んでいくと、あった!史跡自体もさることながら、案内板見ると嬉しくなる。
飛鳥宮の石敷広場越しに甘樫丘を望む。
飛鳥資料館で確認した復元模型や、甘樫丘に登って見下ろした景色を踏まえて周囲を見渡すと、色んなことが想起されてくる。舒明天皇の没後に皇后であった皇極天皇が即位。乙巳の変で蘇我本宗家が滅亡。日本史上初の譲位により孝徳天皇が即位。
この、激動とロマンの歴史舞台こそ、ここ飛鳥宮!その時代に思いを馳せると、いやが上に興奮が高まってくる。
現在復元されているのは、上層の飛鳥浄御原宮のものとのこと。特に力が入っているように見えるのが、大井戸跡。内裏とかじゃなくてなぜ井戸に。何か特別な理由があるんだろうか。
飛鳥寺方面を向いてみる。乙巳の変で中大兄皇子に斬られた蘇我入鹿の首が、かの地まで飛んでいったという。いかにも後世創作された伝説だが、どう考えても遠いよ、やっぱり。今はそこに入鹿の首塚がある。
宮跡の傍らには、万葉集の歌碑。
飛鳥宮から藤原京への遷都後に、天智の皇子であった采女 の 袖吹きかへす 明日香風京都 を遠み いたづらに吹く
隣に生えてたどんぐりの木。植物に詳しくないけど、たぶんアラカシ。甘樫丘から見たときの目印になった。
石舞台駐車場に戻り、続いて向かったのは、天武・持統天皇陵。小さいものの駐車スペースがあり、立ち寄りやすい。
この時、先客はいなかった。
柿の木を横目に、石段を上る。
こんもりとした木々に覆われた丘が、天武天皇と持統天皇の合葬墳墓。宮内庁管轄の古墳は学術調査が許可されないため、そのほとんどの被葬者は確証が取れていない。そんななか、この
持統天皇の父は天智天皇。天武天皇は天智天皇の弟であり、壬申の乱で兄の子である大友皇子を倒し即位した。このように天武・持統夫妻は複雑な関係にあり、その仲も諸説ある。持統は夫より父の血統を残そうとした、天武は天智系皇族を后にすることで権力の安定化を図った云々。
だけど僕は、仲睦まじい夫婦だったんじゃないかと考えてる。まず、病気に罹った持統の平癒を祈るため、天武が建立したと伝わる薬師寺。さらに、造営を始めた天武が崩御したあとに、持統が完成させた藤原京。それに何より、ここにこうして一緒に眠っていること。様々な思惑が交錯する時代に翻弄されつつも、二人はとっても愛し合ってたと思うんだ。
そんなことを、二人の御前で嫁に語って聞かせた。それから、静かに手を合わせる。
ところで、持統の真名“うののさらら”ってメッチャ可愛い。響きだけでなく、
柵の脇を見ると、回り込めそうな道があった。古墳は一周してなんぼだと思ってるので、時計回りに歩いてみた。柵の内側は当然立入禁止。
裏側からは墳丘の形が良く把握できた。八角墳といわれてるけど、円墳にしか見えない。大きいし、横からだと八角形って円と見分けつかないのかな。
ひと巡りして階段を下りていくと、停まっている車が増えていた。訪れる人がいるのは喜ばしい。
もう一度振り返って丘を見上げた。
最後に『柿の葉すし本舗 たなか』葛城店に寄って、柿の葉寿司を手土産に帰宅。期間限定のエビも良かったけど、やっぱサバだな。
行きたい所へ行き、やりたいことをやり、いつも以上にテーマ性の高い旅行になった。毎度のことだけど、嫁には何度感謝しても感謝し過ぎることはないよ。
胸一杯に古代の風を吸い込めた。