甘樫丘は万葉ロマンに溢れていた

2017年12月3日日曜日 11:27

甘樫丘あまかしのおかは奈良県高市郡明日香村にある丘陵。展望台からは、飛鳥寺などの明日香村中心地、大和三山や藤原京まで見渡せる。また、丘にはかつて蘇我氏の邸宅があったとされる。まさに古代史を体感できる絶好の場所だ。加えて、美しい自然も愛でられるのだから素晴らしい。

宿泊はスーパーホテルLohasJR奈良駅。天然温泉も満喫した。朝食に飛鳥鍋なるものが出てて、見た目通りの優しい味。鶏ガラ出汁にミルクを加えた鍋のことみたい。これに茶粥と、奈良らしい朝にしてみた。
ここから甘樫丘の駐車場までドライブ。前日飛鳥資料館に行ったことを考えると、明らかに移動効率は悪い。だけど、やりたいことを優先した結果なので、気にしない。


甘樫丘地区川原駐車場は、甘樫丘展望台から少し離れるが無料。入口が少し狭いので、見逃さないように進入した。
時刻はまだ9時半にも関わらず、駐車場には思った以上に車が一杯。幸い空きがあったので停めることができた。
トイレを済ませ地図をゲットしたら、緩やかな坂を登って朝のお散歩。小鳥のさえずりも聞こえて、実に清々しい。


その途中、『万葉の植物園路』と樹木番号の添えられた札の付いた木があった。万葉植物ってなんのことかと思えば、万葉集に詠まれている植物のことらしい。


足下には植物名を問うクイズと、ヒントとなる万葉集の歌が。なかなか面白い遊びだ。
気持ちの良い青空に浮かれていたのか、番号を見つけるたびに全部めくっていった。ムクノキ,シラカシ,スダジイ,コナラ,アキニレ,アカメガシワ,ネムノキ,スモモ。たくさんあったけど、正解できたのはクロマツだけ。マユミに至っては人の名前かと思った。枝がしなやかで弓の素材に使われたらしい。


鮮やかな紅葉にも出会えた。自ずと足が止まる。


さらに驚嘆したのがこの花。ヒマラヤザクラというそうだ。冬に咲く桜には、鳥たちが蜜を求めて集まってきていた。この季節にこんな綺麗な薄紅色の花を観賞できるとは、思いも寄らなかった。


のんびり30分かけて甘樫丘展望台に到着。
一角では、地元民と思しきおじいさんたちが井戸端会議に夢中になっていた。明日香村の観光資源の活用について議論してるようで、どこそこのやり方は上手いとかもったいないとか。先客らしいおじいさん一人は、花見とばかりにビールを煽ってた。楽しそうだな~。


絡まれないように遠巻きに歩いて、景色案内板を使って嫁に説明することにした。
すると後ろから、「わかりますか?」と壮齢の男性に声を掛けられた。どう答えようか瞬時に考え、にやけた表情から、親切というよりドヤァしたいだけの人と判断。はい、と短く返事して、嫁のほうに向き直った。甘樫丘にわざわざ登るほどの人間が、ここから見える景色の意味を知らないとでも思ってるのかね。


まず西から北にかけて。遠くに連なるのが金剛山と葛城山、二上山。その手前に畝傍山、少し間を開けて耳成山、天の香久山。これら大和三山に囲まれた場所にあるのが、藤原京。
甘樫丘は標高たったの148m。それなのに、これほどの範囲を一望できるんだね。


飛鳥川を目線でなぞっていき耳成山の手前を凝視すると、わずかにだが藤原宮跡が確認できる。


続いて東側。飛鳥寺と蘇我入鹿そがのいるかの首塚、そして小さく見えるが飛鳥宮跡まで。前日、まさに飛鳥資料館で確認した復元模型と合致する風景だ。
飛鳥板蓋宮あすかいたぶきのみやにて、皇極こうぎょく天皇の御前で中大兄皇子なかのおおえのみこらによって蘇我入鹿が討たれ、それを聞きつけた蘇我蝦夷えみしは甘樫丘の邸宅に立てこもり、中大兄皇子は蘇我氏の氏寺である飛鳥寺を居城とし対峙した――飛鳥時代の一大政変、乙巳の変いっしのへんの舞台が今、目の前に!
実際の場所を指差しながら嫁に解説していくと、「なるほど!」と喜色を表してくれた。北の藤原宮跡を含め、これまで旅行で訪れた史跡を総ざらいしたようなもの。それらが繋がったことを理解して、僕ほど強い興味を持っているわけではない嫁も、その面白さに気づいてくれたようだった。多少なりともこの高ぶる気持ちを共有できて、スッゴい嬉しい。

余談だけど、蘇我氏の大邸宅からは天皇の住まいである飛鳥宮を見下ろせた。そこに蘇我氏の権勢をみるわけだが、その蘇我氏を征伐した側の藤原氏もまた、氏寺の興福寺を平城宮を眼下に望む地に建てた。人間ってわからないものだよね。


甘樫丘は5世紀、第19代の允恭いんぎょう天皇のエピソードにも登場する。
允恭天皇は氏姓の乱れを正すため、古代の裁判“盟神探湯くがたち”をこの地で行ったとされる。古事記にも日本書紀にもほぼ同様の記述がある。その裁判は、災厄の神ヤソマガツヒの前で、煮えたぎった湯に手を入れ、正しい者はヤケドをしない、嘘つき者はヤケドをする、というなかなか乱暴な方式だ。
しかし現代の価値観で量ってはいけない。当時、神の意思は科学そのものだった。
ここまでいくと、もはや神話の域。この丘はそうした場でもあったのだ。

ずっと焦がれてた地の土を踏むことができて、大満悦!古代史のメインステージを見晴らせるというだけでなく、様々な花樹を味わい楽しむこともできる。眺望は良いし、歴史を知らなくても行く価値あるかも。

サイト内検索