元伊勢 桧原神社と三ツ鳥居と二上山

2017年12月2日土曜日 14:59

桧原神社ひばらじんじゃは奈良県桜井市にある、大神神社おおみわじんじゃの境外摂社。本社と同じく本殿を持たず、三ツ鳥居を通して神奈備を拝む。
大神神社を参拝しておいて、桧原神社をお参りしないわけにはいかないって。


大神神社から桧原神社へは、山の辺の道やまのべのみちを歩いていくことでも行ける。しかし、時間と体力の都合上そうもできないため、僕らは車で向かうことにした。桧原神社には簡易な駐車場がある。ただし、その道程は狭く、離合が難しい。実際、大型の対向車と鉢合わせして、自車のほうが待避所に近かったので、バックして戻る場面もあった。ドライビングに自信がない人は、徒歩のほうが良いかと。
神経をすり減らしながら駐車場に着いたときは、少しホッとした。


入口には注連柱。一礼してくぐり、砂利の上を歩く。


その先に三ツ鳥居が佇む。ここだけ空気が違う。厳かで、見えない力に圧倒されそうな、不可思議な光景。
三ツ鳥居は一番上の笠木かさぎが反っている明神鳥居に、小さな鳥居を組み合わせた、独特の様式。その起源は不明らしい。珍しい形なので、圧されつつもまじまじと見てしまう。
主祭神はアマテラス。
崇神天皇の御世、宮中に並べて祀っていたアマテラスとヤマトノオオクニタマは、どちらも強い力があるため、一緒に住むのが難しくなった。そこで崇神天皇は、皇女のトヨスキイリヒメにアマテラスを託し、倭笠縫邑やまとのかさぬいのむらに遷し祀った。
と、日本書紀にある。この倭笠縫邑こそが桧原の地であるという。
アマテラスはその後も各地を遍歴し、最終的に伊勢に落ち着くこととなる。それで桧原神社は“元伊勢もといせ”といわれる。


三ツ鳥居の隣には豊鍬入姫宮とよすきいりひめのみや。すなわちトヨスキイリヒメをお祀りする。1986年の創祀というから、かなり新しい。


手水場あたりから後ろを振り返ると、注連柱越しに二上山にじょうざんが見えた。なんて美しい……。
しかも向きは真西。つまり春分や秋分の日頃には、二上山の2つのコブの間に夕陽が沈むということ。偶然の一致とは思えない。
二上山といえば、飛鳥時代においては天武天皇の皇子である大津皇子おおつのみこの墓があり、太古においては火山としてサヌカイトを産出した、奈良の歴史と切っても切れない縁のある山である。三輪山同様、貴重な資源を産む神聖な二上山の真東――それは太陽の昇る方角――に、皇祖神を祀ろうとしたのではないか。そんな風に考えてしまった。
また、二上山はかつて“ふたかみやま”とやまとことばで呼ばれていたとか。こっちのほうが可愛らしくて好きだな。


最後にオマケ。
鳥居を綺麗に撮りたくて参拝客が捌けるのを待っているときに、何気なく献灯に目をやって気づいた。


奉納したのはなんと三重県伊勢市の株式会社赤福。赤福餅で有名なあの企業だった。さすが元伊勢。その縁を大切にしてるんだね。左隣も三重県鳥羽市のミキモト真珠島からの献進。
いやスゴいね。面白い発見をした。

普段あんまり境外摂社までは巡らないんだけど、ここは参って良かった。行かなかったら後悔してたかも。
もし機会があれば、落陽と二上山を眺めてみたいね。

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