播州松巡り 尾上神社の尾上の松

2017年3月4日土曜日 15:27

南毘都麻ナビツマ伝説において景行天皇は、『賀古松原かこのまつばら』を進みながら各地で神事を執り行う。
播磨国風土記に、
(ナビツマ嶋へ向かう途中)景行天皇は舟に乗った所に、若枝で(神事用の祭器を置く)棚を作った。それで榭津たなつと名付けた。
とある。廝御井かしわでのみい阿閇津あえつ御坏江みつきえで神に祈りを捧げてきて、遂に榭津で神事を完成させたのだ。
榭津の比定地は、一説には兵庫県加古川市尾上町とされる。そこに鎮座する尾上神社おのえじんじゃには、尾上の松と呼ばれる相生霊松があり、播州松巡りのひとつに挙げられる。次なる目的はこれだ。


浜宮天神社の神門の前を横切る道を、真っ直ぐ北西へ1キロほど歩くと、尾上神社に到着。隣は保育園、丁度お迎えの時間とぶつかったようで、幼児たちと親御さん、それに車とが入り乱れ、しっちゃかめっちゃかの状態だった。ひとまず神社入口の撮影を諦め、境内に入ることにする。
なお、保育園の道路向かいに参拝者専用駐車場があった。


最初に拝殿にてお参り。拝殿が参道に対して微妙に斜めに構えてるのが、ちょっと気になった。
御祭神は住吉大明神。すなわち、ソコツツノオ,ナカツツノオ,ウワツツノオ,神功皇后。
神功皇后が三韓征伐の際にここに上陸した伝承が残っており、このあたりが当時港であったことを窺わせる。つまり、榭津であったということ。以前書いたように津とは港を指す。


摂社は大村神社(オオナムチ)、歳神社さいじんじゃ(オオトシ)。


その隣の社の鳥居には、一本稲荷大神と刻まれた扁額が掲げてあった。


本殿の奥にも2つ、御祭神不明の小さな末社。


他に目立つ建物が、尾上の鐘という銅鐘が納められたお堂。説明書きを読むかぎりでは、美しい彫刻が施された鐘のようなんだけど、この目で見ることは叶わないようだ。


さて、お目当ての尾上の松である。代替わりが激しいようで、これは7代目らしい。1つの根から幹が2つに分かれて生えている、相生いの松。偶然だけでは続けていけないだろうから、こんな風に生やす技術が存在するのかな。


6代目は枯死したとかで、向かいの玉垣内には8,9代目が植樹されてた。ここまで播州松巡りをしてきて、次世代を育ててるのはあったけど、さらにもう一世代とは。松食い虫に対する危機感からだろうか。


境内にはもうひとつ名の付いた松があった。片枝の松というそうだ。神功皇后を慕って、枝葉がことごとく東に向かって張ったとか。現在3代目とのこと。色んな言い伝えがあるもんだ。
神功皇后は実在しない説が根強いけど、こうして各地にその足跡が残ってるのを見聞きすると、やはり本当にいたんじゃないかと思えてならない。


片枝の松越しに仰ぎ見る本殿が壮麗。これでも充分素晴らしいけど、桜の季節はもっと良いかも。


静かになった神社入口をカメラに収めたところで、時計は正午を指してた。
近くでランチをと、予め目星を付けてたお店に向かった。


それが『本家 かつめし亭』。尾上神社からはわずか数百メートルの所だ。
かつめしとは、ライスの上に豚または牛のカツをのせドミグラスソースをかけた、B級グルメ。加古川のソウルフードなんだけど、その知名度はかなり低い。
嫁が昔一度食べてその時の印象が悪いというので、それを払拭したくて誘ってみた。
二人とも特選並を注文。で、これが美味しかった。嫁もにっこり。良かった。

景行天皇の足取りを辿っていくたび、新しい発見がある。在住地には、神社に限らずまだまだ知らない魅力が隠れてるんだなぁ。それを教えてくれた風土記に感謝。

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