播磨大中古代の村と兵庫県立考古博物館

2017年3月19日日曜日 16:42

明姫幹線を走ってていつも気になってた存在が、大中遺跡と兵庫県立考古博物館。ぐうたら昼過ぎから活動を始めた日に、明石方面に行くついでに軽い気持ちで行ってみることにした。
明幹を大中南で北に折れて播磨町大中遺跡公園駐車場に向かうと、前方2台の車も同じ方向へ。しかも途中で警備員さんと何やら話してる。あとに続いた僕らにも警備員さんが寄ってきて言うには、駐車場が一杯なんだとか。土山駅前の民営駐車場しか空いてないからと、地図を渡された。なんと、そんな混雑するようなとこなのか。三連休の中日だし、なにか催し物でも開いてるのかな。
少し迷ったものの、嫁はどちらでも構わないと言うし、土山駅前に停めてから歩いて行くことにした。


土山駅前から徒歩15分、喜瀬川を越えて細い路地に入ると、博物館の南に鳥居を発見。ご挨拶しておくか。拝殿の扁額で住吉神社であると確認。兵庫県神社庁によると、御祭神は住吉三神,神功皇后とオオトシ。特に見所の無いごくありふれた住宅街の中の神社だ。それにしても、つくづく東播磨には住吉さんが多いなと。


土地の神さまを参拝したあと、狐狸ヶ池に架かるアプローチ橋を渡って、兵庫県立考古博物館に到着。変わったデザインの展望塔といい板張りの自動ドアといい、建物がムチャクチャ綺麗で新しく、面食らった。県のものだから豪奢なのか。
やはりイベント開催中のようで、館内は多くの家族連れで賑わってた。『考古博であそぼう』と題した様々な体験ができるイベントみたい。「もうすぐ紙芝居始まりますよ~」なんて声もかけられたけど、いやいや子供向けでしょ。

ノープランでふらりとやってきた僕は、ここでもしばし迷う。で、ともあれテーマ展示室を見学することにした。そこから先だけは有料。といっても大人ひとり210円と格安で、しかも音声ガイドが無料でレンタルできた。全部聞いたら1時間半に及ぶボリューム。こいつは想像以上に充実した施設だぞ。

常設展示は、人,環境,社会,交流の4つのテーマで“ひょうご”の歴史を紐解いていくもの。
そんなに時間を掛けるつもりがなかったこともあり、自分の興味の有無が浮き彫りにされていった。明石原人などの人骨や縄文・弥生の生活はほぼスルーで、復元された武具や古代船には強く関心を寄せた。緑青が出る前の本来の赤銅色した銅鐸の模造品を、実際に鳴らしてみることもできた。
残念なのは、最新の研究や発見の成果が展示に反映されてないこと。邪馬台国の卑弥呼が倭国を治めたとか、明石の駅家は太寺廃寺にあったとか、見てて少々ウンザリ。
ただそれらを差し引いても、初心者に解りやすく、授業の補足として教材になり得るコンテンツだと思った。


続いて東エントランスから外に出て、大中遺跡公園へ。播磨大中古代の村という愛称があり、弥生時代の発音などを参考に、オポナカムラともいうそうだ。
梅の花がまだ咲いてるところもあったけど、なんといっても目を引くのが、復元された竪穴式住居。


内部に入ることもできる。大人でもこの体験は楽しい。


嫁は炉の前でエア焚き火。規模や中に炉があることから、後期の竪穴式住居だって判るね。


復元住居のすぐ隣には本物の跡。この配置が良い。


大中遺跡は全体の4分の1の調査で70を超える竪穴式住居跡が見つかっており、このあたりに相当有力なムラがあったと推測できる。そして、大昔にはこんな風景が広がってたのかなと容易に想像させられる環境が、ここにある。

住居復元ゾーンに満足した僕たちは、博物館に戻って一服することにした。館内にカフェがあり、しかもそれが『神戸風月堂』。安定じゃないの。ミュージアムに付き物の、よくわからない名前の店でないのが有り難い。ミキサーの音がしたあとに提供された、ミックスジュースが美味しかった。
ひと息入れながら窓の外をぼんやり眺める。復元住居に次々と吸い込まれていく人々を見てると、おかしくて笑ってしまった。人のこと言えないんだけどさ。それから、体験コーナーで駒回しに挑む女の子の姿が微笑ましかった。おじさん二人の指導を受けて、何度目かの挑戦で見事成功させ、跳び上がって喜んでた。

長居しなかったこともあり、薄っぺらな見学になってしまったけど、またしても近場のスポットに対する気づきを得た。
敷地内の播磨町郷土資料館には大中遺跡の出土品が展示されてるらしいし、いつか改めて訪れようと思う。

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