松原御井にみる失われた島
2017年3月4日土曜日
16:09
播磨国風土記に、
のち、病を患った景行天皇は、「私は寂しい」と言った。そこで宮を別譲との思い出が詰まったとある。賀古松原 に造り、そこへ還った。ある人がここに清水を掘り出した。それで松原御井 という。
この『松原御井』は一応現存する。正直あまり妄想をかき立てるような状態ではなさそうだけど、せっかく行けるのだから確かめに行った。
美味しいかつめしでおなかを満たした僕たちは、そこから西へ西へと歩いた。
すると、目的地まであと少しというところで、道の真ん中をてけてけ走るサワガニを発見。こんな陸地で何をしてるんだ。そこへ車が通りすがったもんだから、轢かれやしないかヒヤヒヤ。幸いくぐり抜けられたようだった。
兵庫県加古川市尾上町養田の工場が建ち並ぶエリア、すぐ横を泊川が流れ、その向こうには加古川の土手が見える遊歩道沿い。
振り返れば大成金属工業所加古川工場がそびえ、泊川の下流には水門が口を開いていた。
そんな場所にひっそりと、『松原御井』はあった。正確な位置を把握していないと、なかなか辿り着けないんじゃないだろうか。緯度経度で示すと、北緯34°44'30.7",東経134°48'45.5"。
遊歩道を散歩してる人なら数人見かけたけど、これがなんなのか知ってる人はいない気がする。
見てのとおり井戸の穴は無く、もはや井戸のようなものでしかない。というのも、井戸の位置は加古川の改修の都度変わり、最終的にこの場所に移築・復元されたからだ。最初に一応と断ったのはこういう理由である。
ただ、そこから判ることがひとつ。ナビツマ嶋は今はもう失われたということ。加古川――往時は印南川と呼ばれた川――は時々氾濫を起こしていたし、そのたびに流れが変わった。そんな過程のなかで、三角州もしくは砂州だったナビツマ嶋は消えたのだ。
病気になり臥せっていると気が弱くなるもの。そんな時、若き日に恋に燃えた場所に帰りたいと願った景行天皇の心情は、現代の僕たちにも通用する、普遍の思い。
工場と無機質な柵に囲われた井戸は、そうした情緒など微塵も感じさせないが、せめて気持ちだけは古代に浸っていたい。
こんな辺鄙な所に行くついでなんか、そうそうあるワケない。ずっと気掛かりではあったから、この目で確認できて区切りが付けられたよ。妙な散歩に付き合ってくれて、嫁もありがとう。