東楼の完成を祝う平城のとよほき

2026年3月22日日曜日 16:47
平城宮跡にて進められている第一次大極殿院復原事業。大極殿院は築地回廊に囲われ、南面回廊の中央の門の両脇に楼閣が建っていたとされる。そのうちの東楼ひがしろうが完成し、3月15日から公開が始まった。
平城宮跡歴史公園で毎年春秋恒例となっているイベント『平城のとよほき』が、今回は東楼完成を記念するかたちで催されると知り、色々リハビリも兼ねて行ってきたよ。

まず、直近半年弱の空白について語っておく必要があるかな。昨年11月、平城宮いざない館で行われたイベントに参加した翌日のこと。自転車通勤中、突然猫が横から出てきて激突され、そのまま転倒。あまりの勢いに受け身も取れず、左肩を痛打して骨折した。通りかかった人のお陰で救急搬送され、金属プレートで固定する手術を受けることに。数日入院し、退院後も三角巾で固定して左腕は2週間使用不可。術後から始めた肩のリハビリは、4か月が経った今も継続している。
通勤途上での交通事故ということで労災認定され、会社からは、定時勤務が通常通りできる程度まで筋力・体力が回復するまでは復帰してはいけないと言われている。しっかりした企業で良かったと、心底感謝している。
肩の骨折は、骨がくっつけば終わりという単純なものではないらしい。身体で最も硬い部位である骨が折れるほどの衝撃を受けたということは、周辺の筋肉・靭帯・神経が著しく損傷したことも意味する。また、手術による切開も組織にダメージを与える。固定して動かさないでいると、筋肉や関節が固まるだけでなく、あっという間に筋力が衰え、50%以下に低下することも珍しくない。
そのため、硬化した肩の可動域を広げるためのリハビリと、落ちた筋力を回復させるための筋トレが日課となっている。はじめは自力で着替えや洗髪すらできないほどだったけど、現在は日常生活に必要な動作はほぼできるようになった。ただ、相変わらず筋力が弱く、自転車には乗れない状態だ。
左手が利き手の僕にとって、なかなかツラい状況。不幸中の幸いなのは、幼い頃に矯正されて箸とペンは右手だったこと。とはいえ、重たいものを持ったり咄嗟に動かしたりするのは左手だから、不自由には違いない。リハビリでどこまで戻せるかが勝負だ。
こうしてブログを書くというPC作業も肩への負担が大きく、なかなかできずにいたんだよね。でも、だいぶ動かせるようになってきたから、日帰り旅行に伴う各種動作を含めて、リハビリにもなるかなと思って。

そんなわけで、朝8時に出発。道路が流れていたこともあって、9時半過ぎには県営奈良めぐり平城宮跡前自動車駐車場に到着した。春の三連休最終日はやはり空いているようだ。観光バスが複数台停まっており、朱雀門ひろばも賑わっていた。
イベント開始時刻まで少し時間があったので、平城宮いざない館の春期企画展「宮都きゅうと高殿たかどの」を先に見学する。東楼関係の木簡として、平城宮中央区朝堂院東北隅で発見された、
造東高殿
西高殿四人
などがパネルで紹介されていたほか、『続日本紀』の天平八年正月丁酉条、
天皇宴群臣於南楼賜禄有差。
同じく天平二十年正月戊寅条、
天皇御南殿宴五位以上。
それぞれ写本の該当ページが展示されており、とくに天平八年の「南楼」に着目していた。
ただ、解説にはなかったけど、この箇所は写本の系統によって表記が揺れている。吉田兼右本などは「南殿」としている。しかし、平安時代の歴史書である『類聚国史』や『日本紀略』も「南楼」としており、木簡の「東高殿」・「西高殿」の存在を考慮すると、「南楼」の可能性は高いのではないかと思う。

天皇が「宴」を催したとの記録から、その様子がジオラマとして表現されていた。食膳には考証に基づいた料理が並び、背景には東楼からの景色に一致する写真が貼られていて、屋内展示でありながら臨場感がある。

肝心の建物復原にあたっては、屋根の試作品や鴟尾しびの縮小模型などが陳列されていた。
最も問題となったのは屋根構造と二階部分の構造だそうだ。当時の絵図などが残っていない以上、どの建物であっても復原に際して一番頭を悩ませる部分なんだろう。慎重な検討が重ねられたに違いない。

企画展を見終えて外に出ようと館内を歩いていたところ、生駒さんたちにご挨拶することができた。いつも忙しそうだけど、お元気そうで何より。
館内通路には物販やワークショップのブースが並んでおり、その中で、なんと元龍谷大学特任教授の杉山洋先生が出店されていた。2020年の「元明天皇展」を監修してくださった方で、その内覧会でお目通りが叶ったこともある。論文のために購入した銅鏡なども販売されており、十分に論文は書き、詳細なデータも取ってあるからとのこと。あまり物欲のない僕だけど、研究材料だったホンモノの銅鏡(先生の1時間講義付き)を手許に置ける機会には、さすがに心が揺れた。持て余しそうで結局見送ったけど、危うく高額出費をするところだった。

平城宮いざない館の外では「祥瑞マルシェ」が開かれていた。売り切れる前に『花水土香』さんのイチゴ「朱雀のなみだ」を早々にゲット。昨シーズンは高取町のお店に行けずじまいだったから、しろみさんご夫婦と言葉を交わせてよかった。

それから、少し早めのランチ。飛鳥歴史公園開園50周年記念イベントで食べ損ねた『奈良パークホテル』さんのアップルパイや、『台湾屋台325』さんのルーローハン(豚飯)を、朱雀門を眺めながらいただく。いつの間にか陽射しがなくなったから、温かい食事がありがたく、美味しい。

11時を過ぎたところで、11月に自分たちも参加したイマーシブシアター「平城遷都誘宵記」を外野から見物する。当然すべての展開を知っているのだけど、傍から見ているだけでもやっぱり楽しい。この日は『平城のとよほき』同時開催とあって、見物客も多かった。
僕らのときに女官役で出演されていた方は、この演劇の企画制作を担当したプレイング株式会社代表の山本知史ちふみさん。この日は役には扮していなかったけど、サポートに入られていた。
このイベントの感想を書いたブログ記事が、一時期SNSからの流入が増えたことがあって、それは公式アカウントで紹介していただいたからだった。一言そのお礼を伝えられればと思っていたところ、ちょうど山本さんとお話しする機会が巡ってきた。しかも、お名刺まで頂戴してしまった。いち参加者が好きに書いたブログでも、活用していただけるなら嬉しい限りだよ。
この演劇イベントのユニークな所は、地元の人に継承していく仕組みにある。今回の役者さんの中には、オーディションを突破した元参加者で、稽古を重ねて出演されている方もいるという。
秋にはまた異なる演目を企画されているとのことで、続報を楽しみに待ちたい。

そのあと『とよほき』受付に立ち寄り、#joyppoi(叙位っぽい)服装を自己申告して、先着プレゼントとして上村恭子先生のカレンダーを頂いた。東楼の宴をイメージした表紙からして素敵だ。
受付にいた生駒さんとも少しだけお話しして、骨折のことを改めて気にかけていただいた。

ここで再び屋外へ出て、宮跡を歩く。「平城京ひいな節」というイベントも開催されているらしく、朱雀門にはひな壇が飾られていた。
ひな祭りの起源は意外にも奈良時代に遡る。五節句の一つである上巳じょうしに禊ぎを行う古代中国の行事が伝わり、宮中では盃を水に流す曲水の宴が催された。人形ひとがたを身代わりとして水に流し穢れを祓う風習(その名残が流し雛)や、平安貴族の女児が遊んだひいな人形など、それらが混ざり合って現在のひな祭りになったのではないかと考えられている。
平城宮跡がひな壇飾り発祥の地というのは寡聞にして知らないが、こうして並べられている様子を見ると、あながち無関係とも言い切れないのかな、と思ったりもする。

門を抜けて進むと、工事中の西楼を覆う素屋根、大極門、そして東楼が整然と並ぶ様子が見えてくる。真正面から見ると、すっかり奥の大極殿が見えなくなっていた。
西楼と築地回廊が完成したら、さらに遠く感じられるようになるんだろうなぁ。大極殿だけがぽつんと立っていた頃が、なんだか懐かしい。

東楼に近づくと、ほんのりと木の香りが漂ってくる。それくらい新しい。
高層建築の珍しかった時代にあって、あの高殿での宴は、きっと特別な時間だったんだろうと想像する。

設えられた階段はダミーではなく、実際に昇降できるものなんだろう。この上の空間を使ったイベントも、今後行われるかもしれない。

歩いているうちに小腹が空いたので、いざない館前に戻って『あすか燻製工房』さんのフランクフルトをいただく。これが絶品で、プチっとはじけた皮の中からじゅわ~っと肉汁があふれ出る。ビールが欲しくなったよ。
それから、『花水土香』さんの水餃子も追加。ここの点心、やっぱり好きだなぁ。
杉山先生らによる東楼の講演会も予定されていたけど、あまり帰りが遅くなるとしんどくなるので、ここで引き揚げることにした。

こうして一通り歩いてみて、見ておきたかったものや、確かめたかった景色にはひとまず触れられたような気がする。まだ細かいところまでは追いきれていないし、気になる点もいくつか残っているけど、この段階としては十分かな。
さて、次はどこから辿っていこうか……そんなふうに考えながら、帰路についた。

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