万葉の岬

2023年2月4日土曜日 15:51

瀬戸内海国立公園 万葉の岬は兵庫県相生市金ヶ崎にある公園。『万葉集』の代表的歌人・山部赤人やまべのあかひとの詠んだ「過辛荷島時」の歌にみえる風光が一望でき、また冬には椿が、春には桜が咲き、播磨灘とともに見られる景勝地として知られる。
まずは、その歌を挙げておこう。読み下しと現代語訳は現地の歌碑から引き、ふりがなを補った。
・過辛荷島時、山部宿祢赤人作歌一首〈并短歌〉
辛荷からにの島に過る時に、山部宿祢赤人やまべのすくねあかひとの作る歌一首あはせて短歌
・唐荷の島を過ぎる時に、山部赤人の作った歌一首と短歌

・味沢相 妹目不数見而 敷細乃 枕毛不巻 桜皮纒 作流舟二 真梶貫 吾榜来者 淡路乃 野島毛過 伊奈美嬬 辛荷乃島之 島際従 吾宅乎見者 青山乃 曽許十方不見 白雲毛 千重爾成来沼 許伎多武流 浦乃尽 徃隠 島乃埼々 隈毛不置 憶曽吾来 客乃気長弥
・あぢさはふ いもが目れて しきたへの 枕もまかず 桜皮かには巻き 作れる舟に ま梶き 我が漕ぎ来れば 淡路の 野島のしまも過ぎ 印南いなみつま 辛荷の島の 島のゆ 我家わぎへを見れば 青山の そことも見えず 白雲も 千重ちへになり来ぬ 漕ぎたむる 浦のことごと 行きかくる 島の崎々 くまも置かず 思ひぞ我が来る 旅の長み
・妻に別れて、その手枕もせず、桜皮を巻いて作った舟に、左右のかいをとりつけ漕いできて、淡路の野島も過ぎ、印南つまや唐荷の島の、島の間から故郷の方をふりかえると、青山のどのあたりともわからず、白雲も幾重にも重なってきた。漕ぎめぐる島々、行きかくれる島の崎々、どこへ行ってもわが家を思い続けて来ることだ、旅の日数も長いので。

・反歌三首

・玉藻苅 辛荷乃島爾 島廻為流 水烏二四毛有哉 家不念有六
玉藻たまも刈る辛荷の島に島する鵜にしもあれや家思はざらむ
・美しい藻を刈る唐荷の島で、魚をとる鵜ででもあったら、家を思わないでいられることであろうか。

・島隠 吾榜来者 乏毳 倭辺上 真熊野之船
・島隠り我が漕ぎ来ればともしかも大和やまとへ上るま熊野の舟
・島かげづたいに漕いでくると、羨ましいことよ、大和へ上る熊野の船が見える。

・風吹者 浪可将立跡 伺候爾 都太乃細江爾 浦隠居
・風吹けば波か立たむとさもらひに都太つだの細江に浦隠り居り
・風が吹くので浪が立とうかと、凪を待って都太の細江(姫路市飾磨区)で浦に隠れていることだ。
歌に出てくる地名を比定していくと、「淡路乃野島」は淡路島北端の野島あたり、「伊奈美嬬」は加古川河口あたり、「辛荷乃島」は金ヶ崎の沖に浮かぶ地ノ辛荷島・中ノ辛荷島・沖ノ辛荷島。
山部赤人は、『続日本紀』などの正史に名前が見えないが、聖武天皇の行幸に従い宮廷歌人として作歌する一方、自然を詠んだ歌にも秀で、叙景歌人と評されている。
この辛荷島の歌は行幸ではなく、地方への下向に際し詠んだものだろう。内容から瀬戸内海を西へと向かっていることがわかるし、赤人の活躍している時期に、その方面への行幸は『続日本紀』に記録されていない。

さて、毎年、記念日は休暇を取って、近場で美味しいものを食べると決めている。正月を流行り病に苦しんで過ごした経験から、外食は特に神経を使う。記念日当日はホテルで安心できる環境だったけど、この日の夕食はどうしようか。幸い平日なので、混雑を避けやすい。


というわけで、道の駅あいおい白龍城ペーロンじょうへ。何度も前を通り過ぎたことはあったけど、行くのは初めてだ。はりまシーサイドロード沿いにあって、この建物目立つんだよね。ペーロンはパイロンが訛ったものらしい。
館内の『お食事処 和ダイニングまねき』は、16時半という中途半端な時間帯も功を奏し、目論見通りガラガラ。これなら大丈夫だろう。窓の外には穏やかな相生湾が。


お目当ては相生産牡蠣づくし御膳。相生の名産であるカキは、身が大きく火を通しても縮みにくいのだとか。焼きガキにカキフライ、カキめし。フグづくしの次の日にカキづくし……贅沢を満喫したよ。

食後に万葉の岬に寄りたかったけど、暮れてきたので日を改めた。

翌日、相生湾伝いにはりまシーサイドロードを南下。カキの養殖だろうか、湾内にはたくさんの筏が浮いていた。深く入り組んだ天然の良港だもんな。名産になるのも頷ける。
それから万葉の岬への道標に従い、幅の狭い路を上る。ホテル万葉岬の前を通過した向こう、展望台の南側に4台分の駐車場があるので、そこへ停めた。


万葉の岬 つばき園に足を踏み入れるとすぐ、山部赤人万葉歌碑として「過辛荷島時」の歌が掲げられているのが見つかった。


園内にはもう1つ、鳴島万葉歌碑が立っている。こちらは詠み人知らず。
・室之浦之 湍門之埼有 鳴島之 磯越浪爾 所沾可聞
むろの浦の湍門せとの崎なる鳴島なきしまの磯越す波にれにけるかも
・室(室津港)の浦の瀬戸の崎にある鳴島の磯を越す波に濡れたことであった。
ちなみに、ここへ上ってくる途中の「万葉の岬」と刻まれた石碑のある場所の先に、縄の浦山部赤人万葉歌碑もあるらしいのだけど、別段眺めが良いわけでもないので、そちらには行かなかった。


小さな展望スペースからは、まさに歌の舞台が見渡せる。
向かって左手前が室津港、その奥が飾磨(都太の細江)、さらにその奥が高砂(印南)のはず。淡路島は遠く霞んで見えないけど、明石海峡大橋の主塔をうっすら確認できた。
真ん中の3つの島が、地ノ辛荷島・中ノ辛荷島・沖ノ辛荷島。右手前のまん丸い島が君島(鳴島)で、自分たちが立つこの岬が、室の浦の湍門の崎だ。
赤人さんはこれら島の崎々を海上より眺めては、愛する妻を、故郷を、偲んだんだろうな。そしてこの情景は、1300年前から変わらない。


それにしても、案外観光客がいる。万葉ロマンだけでなく、眺望が素晴らしいし、椿がちらほら咲いているからかな。
冬の花ってイメージが強い椿だけど、秋や春先に花時を迎える品種もあるんだね。思わぬ拾い物に、嫁の顔もほころんだ。
暖かな陽射しが、春の訪れを感じさせてくれる。そういえば立春か。

想像よりずっと素敵なところだった!歌碑があって海が見えるって、軽い気持ちで行ったものだから、良い意味で裏切られたよ。

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