山陽道野磨駅家跡
2023年2月4日土曜日
21:23
全国的に大変貴重な駅家の遺跡であり、物語の舞台としても出てくる興味深い史跡を、見学してきたよ。
山陽道と駅家について資料を引きながら補足すると、『養老律令』の
凡諸道須置駅者、毎三十里置一駅。などとある。「大路」については『令義解』に、
(諸道に駅を置くについては、30里(約16km)毎に1駅置け)
凡諸道置駅馬、大路二十疋、中路十疋、小路五疋。
(諸道に駅馬を置くについては、大路に20匹、中路に10匹、小路に5匹)
凡乗駅及伝馬、応至前所替換者、並不得騰過。
(馬に乗って次の駅に到着して、乗り換えずに通過してはならない)
謂、山陽道、其大宰以去。即為小路也。と注釈があり、大宰府までの山陽道のことを指す。
このように山陽道は、七道のうちの唯一の「大路」であることから、国が最重要視した道と考えられる。そのためか、原則約16km毎に置く駅家も、山陽道は約8km毎に設けられた。馬が乗り換え必須なのは、馬を潰さないためであり、そのほうが速く遠くへ行けるからだ。
『延喜式』の兵部省諸国駅伝馬条に、
山陽道/播磨国駅馬〈明石三十疋。賀古四十疋。草上三十疋。大市、布勢、高田、野磨各二十疋。越部、中川各五疋。〉などとあることから、諸道の駅名とその数が判る。これによれば、全国に駅は402か所。統廃合の進んだ上での数字だろうから、最大はそれ以上に存在したといわれる。
なのに、駅家跡であることがほぼ確定している遺跡は、なんとたったの4つ。いずれも兵庫県内で、たつの市の小犬丸遺跡は布勢駅家、今回訪れた上郡町の落地遺跡は野磨駅家、加古川市の古大内遺跡は賀古駅家、明石市の長坂寺遺跡は邑美駅家(『延喜式』など史料にみえず、早くに廃止されたと考えられる駅家)。これだけでも、各遺跡がいかに希少か解るというもの。
『今昔物語集』に登場するというので探してみたら、巻第一四の「金峰山僧転乗、持法花知前世語第一七」の中にあった。ただ、『今昔物語集』はほとんどの説話に典拠があるんだね。どうせなら元を知りたい。こちらも探したところ、平安中期の僧・
沙門転乗。金峰山住僧。大和国人矣。天性剛急。有恚憤心。志繁仏法。誦法華経。既得誦六巻。昼夜不退誦之。於七八巻。無暗誦志。過送年月。逮於盛年。忽発皆誦一部之心。丁寧誦之。雖径数月。更不被誦一枚二枚。況於一品一巻而得暗誦哉。転乗法師発勇猛志。昼夜不怠。於一句誦三万遍。而不通利。即参詣蔵王大菩薩宝前。一夏九旬。奉献六時閼伽香灯。毎夜礼拝三千遍。祈願令誦二巻妙経。望安居終。夢有竜冠夜叉形人。天衣瓔珞而厳身。手執金剛杵。足踏華蕚。眷属囲遶。語転乗言。お経を最後まで暗誦できない原因が前世にあるという、いかにも仏法説話らしい展開だけど、駅家云々を横に置いても純粋に面白い。遺跡のある
「依無宿因。不誦二巻也。汝於前世。受毒蛇身。其形長大三尋半也。住播磨国赤穂郡山駅。有一聖人。宿其駅中。毒蛇在棟上。作是念。『我遇飢渇而久不食。希有此人来於此駅。今当呑食』。爰聖人不知有蛇欲害聖人。洗手漱口。誦法華経。其声清浄。聞消滅罪。毒蛇聞経。止毒害心。閉目納毒気。一心聞経。至第六巻。夜至天暁。不誦七八二巻。聖出去。而其毒蛇者汝身是也。止欲害心聞法華故。転於多劫輪廻毒身。今得人身。作法華持者。不聞二巻故。今生不得誦。汝有毒忿心。是毒蛇習気耳。汝一心精進。読誦法華経。現前成就最勝悉地。後世亦得出離生死」。
比丘夢覚。深発道心。弥誦法華。多聞天王随其所念。令満悉地。嘉祥二年円寂焉。
(転乗は金峯山の僧だったが、怒りっぽい性格をしていた。法華経を6巻まで暗誦できたが、7・8巻はどれだけ時間をかけても覚えられなかった。そこで蔵王の宝前に参り、残りの二巻を暗誦できるよう祈願した。すると、ある晩の夢の中に、竜の冠を付けた神のような姿をした人が現れ、転乗に語った。
「二巻を暗誦できないのは、お前の前世が、“播磨国の赤穂郡の山駅”(野磨駅家)に住む、毒蛇だったからだ。ある日一人の聖人が駅に宿泊した。長い間飢えていたお前は、その人を食べようと思った。聖人は、その身を害されようとしているとも知らず、身を清め法華経を読み始めた。ありがたいお経に毒蛇は聞き入ってしまい、悪心を無くした。お経を6巻まで読んだところで夜が明け、聖人は駅を出ていった。長い歳月を経て、お前は人間に生まれ変わった。そして修行し僧となったが、6巻までは暗誦できるのに7・8巻を暗誦できないのは、その時に聖人から聞いていないからだ。お前の怒りの心は、毒蛇の習性なのだ。一心不乱に精進し法華経を読めば、すべてを成就するであろう」
夢から覚めた転乗は、深く仏道に帰依する心をおこし、いよいよ法華経を暗誦することができた)
また、外国の賓客は9世紀初頭には山陽道ではなく、瀬戸内海の海路を使用していたとされ、この説話が成立した頃には、毒蛇が住み着いても不思議ではないくらい、野磨駅家が荒廃していたことを示していると考えられると。
余談だけど、『法華験記』と『今昔物語集』を読み比べたところ、ほとんど和文にしただけと思いきや、1か所だけ「爰聖人不知有蛇欲害聖人」が「爰ニ、聖人蛇ニ被食ナムト為ル事ヲ知テ」となっていて、聖人が食べられそうになっていることを知らない・知っているの違いがあった。
「不」の字を読み落としたのか、意図的に変えたのかは判らないけど、話の印象がちょっと異なってくる。知らずに読経したとなっている『法華験記』のほうが、好きだな。
長徳二年(996)頃に成立した『枕草子』の226段にも記されている。
むまやは 梨原、望月の駅。山の駅は、あはれなりし事を聞きおきたりしに、またもあはれなる事のありしかば、なほとりあつめてあはれなり。最初は「あはれ」が三度も出てくどい文章だと感じたけど、こう考えたらそれぞれが違った意味に聞こえるようになった。
野磨駅家のオロチ説話が有名で、清少納言が聞いたことがあったとしたら。そこへ、『枕草子』にも度々登場する
伊周が配流の時に病気で播磨に留まったことは、『扶桑略記』『小右記』『公卿補任』などにみえるが、『枕草子』では「殿などのおはしまさでのち、世の中に事出で来、騒がしくなりて」とあるのみで、伊周の左遷自体には一切触れていない。憧れの貴公子の悲運に、目をつむりたかったのか。だけど、「あはれなる事」として暗に書いたのか、と。
少々脱線が過ぎたかな。
相生市の隣が上郡町だし、ついでに行ってしまおうということで、万葉の岬から上郡町郷土資料館へ。案の定、駐車場も館内もガラガラ。料金が無料でも、自分たちのほかに見学者は無し。
しかし、展示は充実。先史時代の遺跡出土品に始まり、赤穂郡唯一の白鳳寺院・
嫁は嫁のペースで回っていて、ちょっとずつ興味を持ってくれているのかなと。嬉しい。
内容とは関係ないけど、
資料館を出て史跡へと車を走らせていたら、「野磨駅家跡見学専用駐車場」の案内が。
あるんだ、駐車場。舗装こそされていないし、ネットにも資料館にも、情報見当たらなかったのに……なんて有り難い。
そこから南西へ歩いて5分ほどのところの落地遺跡
駐車場の北東150mに、落地遺跡
8世紀中ごろに造営され、11世紀後半に廃絶したと考えられており、初期駅家からの変遷を辿ることができる。また、西門は八脚門という形式で、
例自体が珍しい駅家跡であるばかりか、遺構の状態も奇跡的。超レアな遺跡だ。
大きな説明板やオロチ説話のあらすじ紹介に加え、パンフレット置きまで設置されていた。中の冊子・リーフレットがまた充実の内容。
駐車場の整備といい、町がかなり力を入れていることが読み取れる。こんなに収穫の多い見学になるとは、思ってなかったよ!