吉野山の桜に歴史と信仰の深さを想う

2022年4月8日金曜日 10:02

吉野山は奈良県吉野郡吉野町にある山地。桜の名所として広く知られ、山々を白く染める桜の木々は、一目千本とも称される。また、多くの社寺が点在し、金峯山寺きんぷせんじを中心とする修験道の霊場でもある。神木とされた桜は、信仰と切っても切れない関係。その歴史を紐解きつつ、絶景に驚嘆してきた!


吉野山の桜の由緒を語るうえで、まずは金峯山寺の縁起に触れなければならない。金峯山寺の開祖は役小角とされる。役小角は役行者などとも呼ばれる。
南北朝時代の成立とみられる寺伝『金峯山秘密伝』によれば、
役行者は大峰山山上ヶ岳に登り、仏道修行をした。そこで人々を救う御本尊を求めて祈ると、釈迦如来、千手観音、弥勒菩薩が次々と現れたが、さらに祈った。その時宝石が振動し磐石の中から、青黒く忿怒の形相をした金剛蔵王像が、突如として湧き出でた。行者は大いに喜び、崇拝すべきものとして尊んだ。これが金峯山寺の始まりである。その後、行者は蔵王の姿をトベラの霊木に刻み、八角堂を建立して、その像を安置した。これが山上蔵王堂である。
という。
吉野町の金峯山寺と天川村の大峯山寺おおみねさんじは、今でこそ別の寺院だが、元来は金峰山(吉野山)から大峰山にかけて金峯山寺の寺域で、大峯の蔵王堂を山上蔵王堂、金峯の蔵王堂を山下さんげ蔵王堂といった。
金峯山寺公式サイトには、
金剛蔵王大権現を感得されて、そのお姿をヤマザクラの木に刻んで
とあるのだけど、『今昔物語集』をはじめ、『私聚百因縁集』,『沙石集』,先述の『金峯山秘密伝』,『太平記』,『役行者本記』,『役君形生記』,『峰中秘伝』,『役公徴業録』,『役行者御伝記図会』など、いくら文献を読み漁っても、「桜」の字を見つけられなかった。
各史料の相違は、役小角が感得した仏やその出現順、山下蔵王堂の由緒などで、蔵王権現の姿を映した木の種類には、あまり言及されていない。その中でも『秘密伝』には、「柘楠草霊木」とあり、『倭名類聚抄』に「石楠草」の和名として「止比良乃木」とあるので、元々の伝承ではトベラの木なんだよね。
役小角が蔵王権現を感得した場所は、大峰山山上ヶ岳。吉野山ではない。現代の山上ヶ岳周辺は、特に桜の名所とはされていない。役小角が尊像を彫ろうとして手近な木を採ったとき、何がそこに生えていただろうか。現代と古代とでは山の植生が変化しているかも知れないので、一概にはいえないものの、桜以外も充分にあり得たように思う。

平安前期、『古今和歌集』の
三吉野の 山へにさける さくら花 雪かとのみそ あやまたれける
が、吉野山の桜を詠んだ最古の歌とみられる。紀友則きのとものりの889~898年頃の作。吉野の山に咲く桜は雪かと見まがうばかりだ、と詠んでいる。ただこれが、「雪のように桜が白く一面に見える」といっているなら、まさに桜の多さを表現したと取れるが、「ふと見えた白いものも残雪かと思ってしまった」と解釈すると、雪に覆われた山といった印象が強くなる。
というのも、『古今集』における吉野は、
春霞 たてるやいつこ みよしのの よしのの山に 雪はふりつつ
のように、雪について詠んだ和歌が圧倒的に多い。当時、吉野といえば雪深い場所というイメージだったんだろう。紀友則の1首だけで、山一面に咲き乱れる桜を連想するのは早計というもの。

そのイメージに変化が現れるのが、平安後期。勅撰和歌集において、吉野の“雪”と“桜”の割合が逆転する。単に“桜”だけでカウントすると少なく見えても、春の歌で“花”の盛りをしきりに歌っている。これはもう桜のことといっていいだろう。
勅撰和歌集で「よしの」とセットで「ゆき」または「さくら」を詠んだ歌の数(雪と桜で重複あり)を列挙する。「さくら」を含まない春の「はな」を詠んだ歌をカッコで添えた。
・古今集(905):雪9:桜2
・後撰集(955-957):雪3:桜1(花1)
・拾遺集(1005-1007):雪8:桜1(花2)
・後拾遺集(1087):雪1:桜1
・金葉集(三奏本)(1126-1127):雪2:桜4
・詞花集(1151)雪1:桜0(花1)
・千載集(1187):雪2:桜0(花5)
・新古今集(1205-1210):雪4:桜4(花7)
このように、早ければ平安前期、遅くとも後期には吉野山は桜の名所であり、その樹数の多さが注目されていることが読み取れる。和歌の傾向から透けて見えるのが面白いね。
南北朝時代、吉野朝皇居へ攻め上ってきた足利尊氏の大軍を、役行者の威徳により退けたので、蔵王権現への手向けとして、後醍醐天皇が多くの桜を植えさせた。
という伝承が、『役行者御伝記図会』に記されている。ただし、この文献は江戸後期の成立。吉野山の桜の由緒が後世、後醍醐天皇に仮託されていったというところか。
安土桃山時代には、摂津国平野荘の豪商・末吉勘兵衛すえよしかんべえが、桜一万本を寄進した記録が残っており、輪をかけて増えていったことが想像できる。豊臣秀吉が花見の宴を開いたことも有名だ。
江戸幕府が、吉野山の神木桜の伐採を禁ずる制札を立てたとの記録もあるし、江戸中期の儒学者・貝原益軒かいばらえきけんの『吉野山名勝考』によれば、
吉野山では桜を切らない。里人が桜を愛しているからではなく、蔵王権現の神木だから、祟りを恐れてのことだ。
という。
明治時代、中岡清一の『吉野名所誌』の「桜の由来」には、上記のような経緯で「絶美を極め」たが、
明治維新に於ける破壊の風潮は、心なき里人をして濫伐に濫伐を重ねしめ、一字見る影なき衰態を来たせしが、近時区民漸く覚醒し官民鋭意其の保護と増殖とをはかりしかば、漸く現状を呈するに至れり。
とある。信仰とともにあった桜だったからか、廃仏毀釈の波に飲まれたんだろうか……大変な危機を地域住民と国とが協力して乗り越え、保護してきたんだね。

吉野山の桜は、中古より数を誇っていたが、いつの頃からかハッキリしないものの、蔵王信仰と結び付いたことにより神木とされ、さらにその数を増やしていった。近代に一時衰退したものの、保護活動により隆盛を取り戻した――というのが、あらまし。江戸前期の僧・木食快元もくじきかいげんの『妙覚門額縁起』にあるように、
桜は神木で、誰が植え始めたかは判らないが、仏詣や花見に登山する人々が桜を植える。
というのが、実情に近いんだろう。こうした背景の中で、蔵王権現を桜の木に刻んだという伝承も生まれてきたんじゃないかな。

さて、これらの由緒を踏まえて、実際に見に行ってみた。なにせ千年以上前から人々に憧れられている、桜の名所。観桜期には、駐車場が少ない周辺道路は著しく混雑するため、交通規制が実施されるほど。土日に行ったら地獄を見そうだ。
というわけで、金曜日の未明3時に自宅を出発し、5時過ぎに下千本駐車場へという、滅多に敢行しないスケジュールで万全を期した。それでも駐車場には数十台がすでに停まっており、土日の惨状が容易に想像できる。みんな早いね~。


薄暗いなかをゆっくり登って、日の出の時刻くらいに吉水神社よしみずじんじゃに到着。青みがかった夜明けの空と桜の中に浮かぶ蔵王堂は、この世のものではないような幽玄さだ。

吉水神社は元は吉水院という、金峯山寺の僧坊だった。後醍醐天皇が吉野に入った際には、行宮が置かれた地。
拝観開始が9時で境内は自由に入れるのかと思いきや、そうではなかった。門が固く閉ざされており、開門9時と掲げられていた。下調べが足りなかったな~。当てが外れた。


仕方ない。気を取り直して、他にも見所を探しに行こう。きつい坂道もありつつ、中千本なかせんぼんが良く見渡せる所へ。白んでいく空に薄ピンクが映える。


上千本かみせんぼんの根元あたりかな。こうして近づいてみると、桜の木が群生していることが改めて理解できる。当たり前といえば当たり前なんだけど。ホント、凄い数だね。


嫁の体力に配慮して、一旦引き返す。朝陽を浴びる蔵王堂には、参拝客が誰もいない。鐘と読経だけが響き、なんだか贅沢な気分。


下千本しもせんぼんまで戻ると、ビュースポットには人だかりができていて、レンズが向けられた先にまさしく絶景が!

それから車に戻って休憩。係員さんが慌ただしく駐車整理をされていた。遅ればせながら駐車料金を支払う。
落ち着いて座って足を休めるには、ここが一番。ただ、マナーの悪い運転手を見聞きする羽目になってしまい、心は安らげなかった。係員さん方、ご苦労さまです……。
結局、規制が始まるより早く、7時半頃には満車になった。

8時過ぎ、ぼちぼち開門するかなぁと思い、吉水神社へ改めて向かう。すれ違う観光客が増えてきた。
着いたのは8時40分頃、門が開かれていた。9時じゃないのね……結局いつ開くの?


何はともあれ、一目千本!うわぁぁぁぁぁ……そう!これが見たくて来たんだ!午前中は逆光になるため、撮影条件としては厳しい。でも、そんなことはいいんだ。僕もいつの日か、吉野山の桜を観たいと思い続けてきたんだ。昔むかしから、信仰や保護を受けてきたからこそ、今目の前に絶勝が広がっているんだ。もう、感動、感動だよ……。
吉野山を埋め尽くす桜の中心は、ヤマザクラ。シロヤマザクラともいう。開花と一緒に赤茶けた若葉が出てくるのが特徴で、白い花弁と合わさることでピンク色に山を染め上げる。ソメイヨシノや他の種もあり、2百種3万本ともいわれる。
それにしても、月ヶ瀬の梅林と吉野山の桜、ある意味似ているなぁと。農産物として植えていた梅の木々を、景観として発見されたことで一躍有名になった月ヶ瀬。信仰心から植えていた桜の木々を、名勝として花見に来る人が増えていった吉野山。どちらも、観光地を作ろうとしてできた景色ではないんだよね。


心が満たされた僕らは、駐車場を後にして麓の吉野神宮へ。散々吉野山について調べていたら、後醍醐天皇にも愛着が湧いてね。拝殿にてご挨拶。
こちらは山上とは打って変わって、参拝客はまばらで静かなもの。嫁も雰囲気を気に入っていた。


ところで、こちらは境内あちこち洒落ていて、素敵なんだよ。花手水の隣にウサギを添えていたり、境内社の前に紫と紅の番傘が置いてあったり。


それで猪目御守がまた可愛いの!二人お揃いで授かったよ。ピンクのほうは水引が桜の花を象っているし、紫のはチャームが桜。神職さんや巫女さんの手作りだそうだ。

一度は訪れたいとの念願が叶って、本当に嬉しかった!早朝からの行動は大変だったけど、その甲斐あって人混みに揉まれることを避けられた。舗装されているとはいえ実質登山で、嫁には負担を強いたけど、それも報われたかな。

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