崇神天皇の宮と陵と
2022年4月9日土曜日
19:53
美味しいもの食べて気力を取り戻し、巡行を再開。ここからは駐車場のある所がほとんどなので、楽に行けるはず。ペースアップしていこう。
飛鳥川沿いの路から東に入ると、多神社の駐車場に到着。田原本町を訪れたのは初めてだ。社号標は辛うじて字が読み取れる。
本殿は修繕工事中のようで、素屋根に覆われていた。境内には工事関係者の姿しか見えず、静かなもの。
拝殿にて拝礼。御祭神は神武天皇・カムヤイミミ・カムヌナカワミミ・姫御神・太安万侶。社名の
拝殿の両脇に、太安万侶をモデルとした“まろちゃん”が立っていたけど、だいぶ傷んできている。
境外摂社として、すぐ南に太安万侶をお祀りする
次は大和神社。移動効率より車での寄りやすさを優先した結果だ。
何度も国道169号を走っているけど、その度に「大和神社」の看板が目に付いていたんだよね。ようやく詣でられる。国道から西へ折れると、道幅が狭くなった。一の鳥居を車に乗ったままくぐり、参拝者用駐車場へ。
桧原神社での紹介と重複するが、日本書紀によれば、
崇神天皇6年、アマテラスとヤマトノオオクニタマの2柱を皇居で一緒に祀っていたが、その神の勢いを恐れ、共に住むには不安があった。そこで、アマテラスはトヨスキイリビメに託して笠縫邑に、ヤマトノオオクニタマはヌナキノイリビメに託して祀った。しかしヌナキノイリビメは、髪が抜け落ち体がやせて、祀ることができなかった。その後、天皇は神託に従い、という。市磯長尾市 という人を祭主とすることで、ヤマトノオオクニタマを祀ることができた。
また、垂仁天皇26年10月に、
ヌナキノイリビメに命じて、神地をとの異説が載っている。穴礒邑 に定め、ヤマトノオオクニタマを大市 の長岡岬 に祀らせた。
大和神社の創建地である「大市の長岡岬」の比定地は諸説あり、公式サイトでも解説されている。一説に奈良県桜井市にある巻向山の突き出た部分といわれる。ヤマトノオオクニタマの祭祀問題と並行して、疫病が流行しており、その原因がオオモノヌシの祟りだったんだけど、オオモノヌシの鎮座する三輪山と、巻向山とはすぐ隣。なかなか興味深い。
垂仁紀に長尾市は
吾是皇祖彦火火出見尊孫椎根津彦とあり、シイネツヒコはヒコホホデミ(神武天皇の祖父)の子孫という。倭国造であり、ヤマトノオオクニタマを祀る祭主の長尾市は、天皇家にも近い高貴な血筋ということか。
本居宣長は古事記伝の中で、シイネツヒコがヒコホホデミの子孫とするのは信じがたいとして、否定する。その上で、ヤマトノオオクニタマは大国御魂神(大年神と伊怒比売の御子神)と同一神であると。宣長の説に従えば、ヤマトノオオクニタマはスサノオの子孫の国つ神系で、倭国造との直接の関係は無いことになる。一定の説得力はあるものの、出雲の神がなぜ大和の地主神に?と腑に落ちない。謎は謎のまま。
正体が謎でも、拝殿から手を合わせられる有り難さ。奥に見える、桜に囲まれた本殿がめちゃくちゃカッコいい。
戦中には、戦艦大和の守護神としてお祀りされたらしい。そうしたゆかりがあるからか、陽が傾きつつあった境内でも、参拝者がちらほら。
続いて国道169号を南下し、崇神天皇陵。ここは訪れる人が少なかろうと思いきや、駐車場にはなぜか数台停まっている。ただし、参道には誰もいない。
玉砂利を踏み締め、拝所へ。
外周の高い堤がよく手入れされていて、とても美しい。ただこれは、江戸末期に柳本藩が行った修陵事業によるもので、古墳築造当時とは異なっているとのこと。
どんどん行こう。さらに南に進み、辻北の交差点へ……と向かったのに、左折しそびれる。せっかく左折で行けるようにルート工夫したのに。仕方なくぐるっと戻って右折し、離合が難しいうえにガタガタの路を、慎重に東へと走る。沿道には相撲神社など、垂仁天皇関係も多い。
小さいながらも、駐車場があるのは本当に助かる。
穴師坐兵主神社(中)、穴師大兵主神社(左)、巻向坐若御魂神社(右)の三社を合祀したもので、現在の鎮座地は大兵主神社にあたる。御祭神については、
とても厳かで清々しい雰囲気だけど、かつての隆盛は見る影もない。
これで、車で寄りやすい所はすべて行けた。あとは、お昼に断念した分を残すのみ。すると嫁が、再チャレンジしたらいいと背中を押してくれた。なんて理解のある伴侶なんだ……つくづく僕は恵まれている。
というわけで、大神神社の駐車場まで戻る。このあたりなら、買い物したりお茶したりで嫁も過ごしやすい。
再び単独行動で、大神神社一の鳥居や今西酒造本店の前を横切り、万葉まほろば線を跨ぎ、天理教敷島大教会の脇を抜け、今度こそ着いた。志貴御県坐神社の一の鳥居をくぐって去っていった女性がいて、またしてもお仲間だろうか。この二日間、史跡寺社巡りをしている人を良く見かけるなぁ。
拝殿の東にある鳥居の先には、磐座があった。
崇神天皇の宮を、日本書紀では「磯城瑞離宮(厳密には「遷都於磯城。是謂瑞離宮。」と、地名と宮名の文が分かれているけど)」、古事記では「師木水垣宮」と記している。
良かった……ここまで来れたよ……地図さえ見られれば別段難しくない場所なのにね、一度失敗しているから、妙な達成感に包まれた。
確実に行き着くために遠回りしたけど、帰りはショートカットを探そう。二の鳥居の前の道を、北に抜けられそうなんだよな。この考えがアタリ。道標があった。
そして、またしても山辺の道。ここにも縁があるなぁ。
途中、
かつて大神神社には、
山門から出ると山辺の道に復帰。その先には、浄願寺の鎮守社だった
その勢いで、大御輪寺だった大直禰子神社も参詣。結果的に、元神宮寺をすべて回ったことに。
よし、嫁の元へ帰ろう。
『
僕は、穴師の里みかんジュースなんてメニューを見つけたので、頼んでみた。桜井市穴師のあたりはミカン畑らしい。垂仁天皇の命で
三諸杉を買ったよとの嫁の報告にもニッコリ。昨夜飲んで美味しかったもんなぁ。
外に出ると、夕陽に照らされた大鳥居越しに御諸山が。締めくくりに相応しい光景じゃあないか。
墨坂とか大坂とか、崇神天皇ゆかりの地は他にもあるけど、今回計画していた所は全部巡ることができた。後半ちょっと欲張りすぎた気がするけど、反省するべきはして、次に活かそう。