天橋立の股のぞき観と天平観

2021年3月19日金曜日 19:37

天橋立四大観のひとつ、傘松公園からの股のぞき観。昇龍観とも呼ぶとか。股のぞきは天橋立ビューランドでも謳っていたが、傘松公園が股のぞき発祥の地だそうだ。

真名井神社参拝を終え、時刻は正午過ぎ。どこかでランチにしたい。籠神社周辺にならお店がありそうだと思い、ちらちら見て回ってみたけど、僕たちが食べたいものに出会えず。傘松公園にもレストランがあったはずだから、そこまで上ってしまおう。
というわけで府中駅へ。ここもリフトとケーブルカーが選べる……が、この日リフトは休止。ケーブルカーに乗らざるを得なかった。

園内には、『AmaTerraceアマテラス』っていう面白いネーミングの施設がある。ここの展望レストランを当てにして上ったんだけど、なんと平日は休業中。仕方なく『Ama Cafe』に行くも、メニューがだいぶ限られる縮小営業。何の変哲もない焼きそば食べても嬉しくないから、食事を諦めた。


代わりにスイーツ。傘松だんごのみたらし味を、カフェラテとともに。寂しいお昼になったけど、もちもちして美味しかったのが救い。「丹後でダンゴ!」なんて幟も立っていて、バカバカしさにかえって笑えてきた。


それから後回しにしていた、股のぞき観を眺める。股のぞきもやってみる。すると、天橋立がまさに天に架かる橋のように見える。
丹後国風土記には天橋立の逸話も記されている。
国生みの神イザナギが、天に通おうとして、はしを作った。それであま椅立はしだてといった。その椅は、イザナギが寝ている間に倒れ伏せてしまった。
傘松公園からの光景は、まさにイザナギが立て掛けた橋だって思える。好みだけでいえば、ここから見るのが一番好きかも。


公園の一角には、冠島沓島遥拝所。冠島かんむりじま沓島くつじまは籠神社の海の奥宮とされる。海部氏勘注系図によると、彦火明命ヒコホアカリと后の佐手依姫命サデヨリヒメは共に籠宮に天降りした。凡海おおしあまの日子社の祭神が彦火明命、息津嶋社の祭神が佐手依姫命とあり、これらが冠島と沓島を指しているみたい。
佐手依姫命の別名の一つに市杵嶋姫命イチキシマヒメがあるんだけど、古事記で市寸島比売命の別名として狭依毘売命サヨリヒメがあるので、そういうことかな。“天之狭手依比売”だとしたらイザナギ・イザナミの生んだ対馬つしまになっちゃうし。


雪舟の『天橋立図』にも『冠嶋』、『クツ嶋』として描かれている。若狭湾内の沖合20kmに浮かぶこれらの島と、天橋立が同じ絵の中に収まるのは現実と比べたらおかしいので、雪舟には何らかの意図があったんだろうね。少なくとも、籠神社にとって冠島・沓島が大切な場所であることは、知っていたはず。


霞んではいるものの、島影を肉眼で確認できて嬉しい。


文殊側に戻るのに、また徒歩では時間がもったいない。船を使おう。と、乗り場へ向かっていたら、天橋立がデザインされたマンホールを発見。しかもカラー。スゴいね宮津市。

天橋立観光船は、宮津~天橋立~一の宮間を運航している。僕らは一の宮から天橋立の区間を乗った。出発時刻間近だったので、いそいそと切符を買って着席。


観光船は内海である阿蘇海を通るため、とても穏やか。デッキに出ると、ちょっと風が冷たい。水上から見る天橋立も良いね。
カモメがたくさん飛んでいて、よりのどかなムードを感じる。船内にカモメのエサが売られていたくらい。


そして、天橋立神社の鳥居を海側から見ることもできた!かつてのように舟に乗って詣でることを想像すると、情緒があって素敵だなぁと。
わずか十数分の船旅だけど、交通手段として便利なだけでなく、船上からしか味わえない景色も楽しめて、とても良かったよ。


さすがにそろそろ休憩したい。文殊堂門前通りで探していると、オシャレな店構えが目に留まった。『Cafe et Patisserie Genmyoan(カフェパティスリー玄妙庵)』。
中に入ると、ショーケースにケーキや焼き菓子が並んでいて、持ち帰りもできるようだ。木の調度品と大きな窓から入る陽光で、とても優しい雰囲気の店内。スコーンなどの軽食とコーヒーで、ホッとひと息吐けた。こういうお店の存在はホント有り難い。

体力が少し回復したところで、時間にはまだ余裕がある。あと1か所だけ行きたい場所が残っていたので、嫁と相談して行くことに。
船で戻ってきたけど、今度は車で再び府中方面へ。


向かった先は、京都府立丹後郷土資料館と丹後国分寺跡。
丹後郷土資料館は、大きな目玉こそないが、周辺の出土品や、籠神社の宝物もいくつか展示されていた。


資料館の前に広がる、丹後国分寺跡。肌寒くなってきたので、お疲れ気味の嫁には車の中で休んでもらった。


現在残っている金堂・門・塔の礎石は、建武元年(1334)以降に宣基上人により再建された時の物だ。


天平13年(741)に聖武天皇が発した国分寺建立の詔に、
其造塔之寺、兼為国華。必択好処、実可久長。
とあるように、ところに建っていた丹後国国分寺の跡……からの天橋立も確かに良いね~!天平観と名付けられていて、それもまた良き。
雪舟の『天橋立図』には、再建された五重塔が描かれている。聖武天皇の詔に従えば元々は七重塔だったはずだけど、再建時に減らしたのかな。

神話や歴史に親しみながら、様々な角度から楽しんだ天橋立。実質日帰りだったけど、メチャクチャ充実した時間だったよ!

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