天橋立を歩く

2021年3月19日金曜日 12:09

智恩寺から天橋立の松並木終点まではおよそ2.5km。寄り道せずに歩けば、30分ほどで渡れる距離だ。上や横から眺めるだけでなく、両の足で感じてみたい。

そもそも天橋立は、「丹後半島の東側から流出した砂礫が海流によって運ばれ、野田川からの流れによる海流がぶつかることにより、府中側から堆積してできた」と考えられているらしい。北砂洲(大天橋)ができたのが約2千年前。その後、平安から江戸中期にかけて、現在とほぼ同じ砂洲が完成。さらに、江戸後期から明治に新たな砂洲、南砂洲(小天橋)が形成された。つい最近まで伸び続けていたわけだ。それで、船舶の航行に支障をきたすほどになったため、南砂洲を切断して文殊水道を造ったとか。


では、実際に歩いてみよう。土産物屋さんの並ぶ道を抜けて、まずは廻旋橋。船が通る際には90度旋回するらしいけど、何やら補修中のようす。
それはさておき、ここが文殊水道というわけか。


廻旋橋を渡った先が、南砂洲。日本三景碑が佇んでいた。安芸の厳島には行ったことあるから、残るは松島だけかぁ。


南砂洲と北砂洲とを隔てる切戸きれと。そこに架かる大天橋だいてんきょう。北砂洲のことを大天橋とも呼ぶけど、ここは橋の名前。ややこしいな。


クロマツ林を行く。平日なら人が少ないだろうと踏んでいたけど、まったく人影がなくなる瞬間も結構あって、贅沢な時間!


お社が見えてきたところで、旧参道を辿って南西へ戻る。阿蘇海あそかいに面して立つ鳥居が、そのお目当て。
前述の通り江戸中期以前は南砂洲がまだ無く、文殊側から天橋立大明神を詣でるには、阿蘇海を舟で渡るしかなかった。この石造の鳥居が、参道の入口だったわけね。
あとで観光船に乗って、海側からも見よう。


鳥居を一礼してくぐり、改めて天橋立神社へ。


天橋立神社の御祭神は豊受大神トヨウケノオオカミ。籠神社や真名井神社との関係を連想しがちだけど、かつて天橋立は智恩寺の寺領だったので、天橋立神社も智恩寺に属する鎮守社だった、と考えられているんだね。
明治期になると御祭神はイザナギとされているらしく、イザナギが天に昇るために作ったハシゴが倒れちゃったものが天橋立だっていう、丹後国風土記にあやかったんじゃないかな~。風土記好きとしてはワクワクする話だけど、本来の御祭神も押さえておきたいの。


神社のすぐそばには、磯清水いそしみず。周りを海に囲まれていながら塩味を含んでいない、不思議な井戸だそうだ。


上から眺めたときに目を引いた、弧を描く砂浜。現地まで足を運んでみても、ホント美しい。風の強い日だからか、湾内にしては荒れた波が押し寄せていた。やっぱ日本海いいな~と思う瀬戸内民。


天橋立の幅は最も狭い場所で20m。白砂青松とはいうけど、右見ても左見ても海という光景は、なかなか無いよね。

ゆ~っくり1時間かけて歩き通した。景色は良いし、神社や奇松などの見所はあるし、嫁と色々おしゃべりしながら、歩くだけで楽しかった!

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