川崎稲荷神社と御形神社

2019年10月5日土曜日 19:16
川崎稲荷神社かわさきいなりじんじゃ御形神社みかたじんじゃもまた、播磨国風土記に縁のあるお社。伊和神社・庭田神社・川崎稲荷神社・御形神社……風土記好きにはたまらない、宍粟はワンダーランドだわ~。


続いて向かったのが川崎稲荷神社。カーナビが、車では通れないルートに案内してきたので困った。西に赤い鳥居は見えている。どうやら狭い路に入るしかなさそうで、田んぼの間のセンターラインのない道路へ折れる。その先も慎重に走って、参拝者用駐車場に到着。


まずは拝殿からお参り。主祭神はウカノミタマだけど、配神がコノハナサクヤヒメというのがポイント。
播磨国風土記の宍禾郡しさわのこおり雲箇里うるかのさと条に、
大神之妻、許乃波奈佐久夜比売命、其形美麗。故曰宇留加。
(大神の妻コノハナサクヤヒメの姿が美しく麗しいので、雲箇うるかという地名になった)。
とあり、つまりこのお社には、伊和大神の后をお祀りしているのだ。
川崎稲荷神社の創祀は不詳ながら、ウルカ明神あるいはキサキ明神といったという。“キサキ”が伊和大神の后を示しているということだろう。この“キサキ”が転訛して“カワサキ”になったとか。
風土記にある宇留加も雲箇も、現在の地名の閏賀うるかに繋がっている。宛てる字こそ変われど地名が残っていて、その地に立てるのはエモだよ。


拝殿のすぐ隣に旧社殿跡(元宮)。こんな近い所から移したのって、何が理由なんだろ。


境内には色んなお稲荷さんがいらっしゃった。面白い。こちらは防災稲荷。


出世稲荷。なで狐を撫でた手で、自分の体の悪い所を撫でると病気が治るとある。嫁が心を込めて撫でていた。


知足稲荷ちそくいなり。老子の言葉「知足者富」にあるように、分相応のところで満足し、感謝の念でお参りしなさいと。
ひとつずつ拝んでいきながら、なんだか嫁が嬉しそう。ここが気に入ったそうだ。そっかぁ、お稲荷さんかぁ。


最後は御形神社。未舗装ながら広い参拝者駐車場があった。


鳥居も神門も立派。


百度石の上の狛犬が可愛い。


建てて間もない感じの授与所は、見ていて気持ちが良い。


思った以上に大きな境内。播磨国の一宮である伊和神社に、勝るとも劣らない。


拝殿にて拝礼。主祭神はアシハラノシコオ。右殿にツクヨミ・アメノヒボコ、左殿にタカミムスヒ・スサノオを配祀する。
風土記の宍禾郡しさわのこおり御方里みかたのさと条に、
所以号御形者、葦原志許乎命、与天日槍命、到於黒土志尓嵩、各以黒葛三条、着足投之。尓時、葦原志許乎命之黒、一条落但馬気多郡、一条落夜夫郡、一条此村。故曰三条。
(アシハラノシコオとアメノヒボコが争いに決着を付けるため、黒カズラ三条みかたを足に付けて投げ、それらが落ちた場所を自分のものにすることにした。アシハラノシコオのカズラは、一本は但馬たじま気多けたの郡に、一本は夜夫やぶの郡に、最後の一本は宍禾しさわの郡の御方みかたの里に落ち、アメノヒボコのはみな但馬の国に落ちた)
という神話が載っている。
また、
一云、大神、為形見、植御杖於此村。故曰御形。
(大神が占拠したかたみとして、御方みかたの里の村に杖を立てた)。
という別の話も併記してある。
アシハラノシコオ=伊和大神=オオクニヌシとする説があるけど、いずれにしても神話がこの地名の発祥を語っているんだよね。
それと、ライバルであるアメノヒボコを一緒にお祀りしてるのがエモい。ツクヨミと一緒というのもユニーク。


脇に回り込んで本殿を確認すると、なんと桧皮葺。播磨じゃなかなかお目にかかれないよ。
風土記ゆかりの地だー、って勢いだけでお参りしたから詳しく知らなかったんだけど、どこもかしこも見事でビックリした。これだけ大きいのに創祀不詳とはね。地元の崇敬が篤いことだけは確か。


境内社は、本殿向かって右に日吉神社。立札はかすれてほとんど読めない。


左には佐閉神社さへじんじゃ。御祭神は障神さえのかみ


余談。
参拝を終えたら正午過ぎ。周辺にめぼしいお店が無かったので、道の駅フレッシュあさごまで行くことにした。間違えて道の駅あさごに行ったり、播但道ではなく一般道からのアクセスに迷ったりもしたけど、無事に着けた。レストランで『たじまづくし』という、但馬牛カルビ・八鹿豚ロース・但馬どり・あさごの鹿肉が、一度に味わえるメニューを堪能した。店内は明るいし、料理も美味しい。意外な発見。

今回、テーマを絞って巡ったのが良かったなと思った。ものすごい今更なんだけど、何を見たいのか何を知りたいのか何を感じたいのか、目的を明確にしていけば、寺社史跡巡りはより楽しくなるんだな。行きたいって気持ちだけでは消化不良を起こすっていうか。今後も心掛けていこう。

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