東院庭園

2019年10月27日日曜日 11:00

東院庭園は、東宮(または東院)と呼ばれた平城宮東張り出し部にあった、庭園を復原したもの。発掘成果や文献に基づいての復原であるのに、非常に美しく、奈良時代の美に対する価値観が、現代にも通じるものがあることを教えてくれる。メッチャ雅やかで、色んな角度から何枚も写真撮っちゃったよ!

御代替りの年とあって、各地で特別なイベントが催されている。毎年開催の奈良博の『正倉院展』も、御即位記念と題して、滅多にお目にかかれない宝物の展示があると聞いた。これは行くしかないでしょ、ってことで奈良旅行を計画。で、その中に、平城宮跡でまだ見学していない施設も組み込んだ。それが東院庭園。
日曜日の朝、阪神高速がスムースに流れていて、すんなり1時間半ほどで東院庭園駐車場に到着できた。横を通り過ぎた遺構展示館の駐車場がかなり埋まっていて、正倉院展期間中の奈良の混雑ぶりを垣間見た気がする。夏に訪れたときとは大違いだ。


東院庭園のエントランス兼ガイダンス施設の前。打って変わってここはひっそりとしている。
南に見える東院南門は、建部門たけるべもんと呼ばれる東院の正門だ。建部といえば、景行天皇がヤマトタケルを偲んで設置した部ともいわれる。建部氏が警護していた門なんだろう。
天気は回復傾向の予報だけど、空がまだ曇っている。できれば青空の下で見たいなぁ。


ガイダンス施設の中には誰もいなかったけど、奥からボランティアガイドさんの声が聞こえた。僕らは自分たちのペースで見学していこう。
庭園の遺構模型は建物や橋の位置などがわかるようになっていて、これから回るに当たって参考になった。
隅楼すみろうの八角柱の展示などを見ていると、先の案内を終えたらしいガイドさんに声を掛けられた。せっかくだからお願いしよう。


まず庭園には行かず、穴門あなもんから出て大垣沿いに歩いて、東側面に連れていかれた。なかなかマニアックで面白い展開。
このガイドさん、一日語ることも可能だそうだ。東院庭園こそ初めてだけど、平城宮跡には何度も足を運んでいる旨を伝えると、頑張って知らなさそうなことを話すとおっしゃってくれた。


そこは阿弥陀浄土院跡で、かつて法華寺の境内だったそうだ。法華寺が元々藤原不比等の邸宅で、娘の光明皇后が開いた寺院であることは、参拝もしたことあるし知っていた。けど、その光明皇太后の一周忌のために造営された、阿弥陀浄土院のことは不勉強だった。かつてここにも池や廊橋があり、庭園だったらしい。その一部、花崗岩の立石が地上に露出している。
僕は、奈良時代というより元明天皇に対する興味が強いだけなので、聖武・光明の時代は詳しくないんだよな。


次に、門に戻りながら遠くの生駒山地を差して、松尾芭蕉を知っているかと。あの山間のくぼんだ所に街道が通っていて、難波と平城京を最短距離で結ぶ道だと説明してくださった。芭蕉最後の旅で、街道の難所・暗峠くらがりとうげを越えたとか。
奈良時代後期以降のこととなると、知らないことばかり。ああ、そうか、僕が知らなさそうな話題を選んだ結果、こうなったのか。


そしてようやく庭園内へ。おお……きれい。思わず声が漏れるほどだ。曲線的な池があって、風雅な建物があって、緑が植えてあって。どこまで正確に復原できているか知る術はないけど、美しいものは美しい。
東宮とうぐうとは皇太子の住む宮殿で、内裏の東にあることからそう呼ばれた。また、皇太子自身を差して東宮と呼称することもあった。正史での初出は、続日本紀養老五年正月庚午条。
詔従五位上佐為王~中略~等、退朝之後、令侍東宮焉。
元明上皇の娘・元正天皇の時代で、この時の東宮は首皇子(のちの聖武天皇)だ。宮殿としての東宮は、孝謙・称徳天皇の時代においては、東院と呼ばれた。


東宮については多少語れても、庭園のことに関しては無知。
建物以外の植栽も、発掘調査や平安時代の『年中行事絵巻』などから、樹木の高さや形まで考えていることを、学ばせてもらった。スゴいな、そこまで徹底しているんだ。


ムラサキシキブが丁度綺麗な紫色の実をつけていた。こうした植物も、発掘で採取した成果や万葉集などを参考にしているとか。


中央の建物の裏のこんもりした所が何か知っているか訊かれたので、宇奈多理神社うなたりじんじゃですか?と答えたら正解。「奈文研なぶんけんの方ですか?」などとおべんちゃらを言われた。春に参拝したからね、知ってるよ。


正殿に続く平橋。


北側に架かる反橋。
これらにも根拠があって、平橋は等間隔の柱跡が出たからで、反橋は柱の間隔が中央と端で異なるから。専門家が見ればそんなことまで判るんだね~。


池の北端にある築山石組だけは、復原ではなく実物。掘り出された遺構は保護のために土を被せたけど、この部分だけ露出させているそうだ。阿弥陀浄土院跡の立石と同じ。


北東の建物は、正殿で宴会が催されているとき、BGMとして雅楽を奏でる場所だったのではないか、って。
その奥の塀は、瓦が出土しなかったことから、板葺とのこと。再現が細かい。


360度雰囲気あるから、眺めていてホント楽しい。
いよいよネタに困られたのか、兵庫県から来たという僕らのために、小野市の浄土寺には県内唯一の国宝の仏像があって素晴らしかった、なんて話をしてくださった。快慶作の阿弥陀三尊だったか。なんか聞き覚えのある寺院名だと思ったら、近くに奈良時代の伽藍の縮小模型があるとこだ。いつか行きたいと思ってる。


ガイダンス施設に戻ったら、さらっと展示物の説明をされて、最後に三彩丸瓦と緑釉平瓦の前へ。ガイドさんが一番好きなのがこれだそうだ。在りし日にはもっと鮮やかだったんだろう。復原建物も、いつかこうした色の付いた瓦で再現してくれるかも、って。
色々と解説していただき、ありがとうございました。

ガイドさんと別れ、僕らは2周目の庭園。ゆっくり撮影をとね。気づけば晴れてきた。ツイてるな~。嫁ともども、気の済むまで写真を撮って回った。

サイト内検索