播州松巡り 高砂神社の相生の松

2021年2月20日土曜日 15:25

高砂神社たかさごじんじゃは兵庫県高砂市にある神社。室町時代の能作者である世阿弥ぜあみの作った、謡曲『高砂』ともゆかりが深い。播州松巡りでは、高砂の松や相生の松として挙がっていて、ようやくすべて巡れたよ。

観梅のあと、まだ陽が高いし、高砂神社にもついでに寄っていいか嫁に相談。許可してもらえたので、旧浜国道を加古川にぶつかるまで走り、そこから南下。神社正面の神門周辺の駐車スペースに、車を停めた。


立派な鳥居が立っている。
なぜか既視感がある。嫁も同じだそうだ。でも、初めて訪れたはずなんだよな。


何はさておき、拝殿にてお参り。
御祭神はスサノオ,クシイナダヒメ,オオナムチ。
神功皇后が三韓征伐から凱旋の途中、鹿児水門かこのみなとに停泊したとき、オオナムチからここに留まりたいとの神託を受け、それに従って宮を建てて祀らせた。
のが、はじまりという。
播磨における神功皇后の伝説は、風土記にたくさんあるし、『住吉大社神代記すみよしたいしゃじんだいき』にも記されている。そういう文脈で読むと、なるほどさもありなん。


では相生の松を確かめよう。霊松殿に保存されているのは三代目とのこと。


隣には五代目。
初代の松には、こんな言い伝えがある。
神社創建からまもなく、境内に一本の松が生い出でた。幹が雌雄二つに分かれていたので、神木として称えられていた。ある日、じょううばに姿を変えたイザナギ・イザナミの2神が現れ、神霊をこの木に宿し、夫婦の在り方を示すと告げられた。以来、この木を“相生の霊松”と呼び、2神を縁結び・夫婦和合の象徴として信仰するようになった。
とか。また、播磨の国の高砂の浦は、名勝として知られていたという。


世阿弥は、古今和歌集仮名序にある、
たかさごすみのえのまつもあひおひのやうにおぼえ
(高砂、住の江の松も、相生の様に覚え)
という一説から着想を得て、謡曲『高砂』を作ったとされる。高砂の松と住の江の松は遠く離れているが、お互いを思う気持ちがあれば、心が通じ合う夫婦のようだから、相生の松の呼ばれている――なんとも素敵なお話じゃないか。
「高砂や、この浦舟に帆を上げて」で始まる『高砂』は、かつて結婚披露宴の定番のひとつだったというし、新郎新婦が披露宴の際に座る席のことを高砂と呼ぶのも、ここから来ている。
これは私見だけど、イザナギ・イザナミというより、神功皇后や住之江というと住吉三神を思い起こしちゃうね。実際、能の物語の中にも出てくるし。


で、こちらがイザナギとイザナミを祀る尉姥神社じょううばじんじゃ


その横に、住吉社・三社・稲荷社。なんと、こけら葺きだよ、カッコいい!播磨では銅板葺の屋根が圧倒的に多いから、なんだか嬉しくなる。


もしやと見上げてみたら、本殿も。うわぁ、いいなぁ。愛宕社も同様だった。


バラバラになった鳥居が置かれた、不思議な場所。これは寛文5年(1665)に建造された旧鳥居だそうだ。今は『厄落し清め処』となっている。


空堀だけど、この佇まいは弁財天だろう。狛犬のデザインがオシャレ。


『池田輝政公高砂城址』と刻まれた石碑を見つけた。ここは高砂城跡でもあるらしい。城が破棄されたあと、本丸の跡地に神社が戻されたらしい。
奥に銅像が見えるから池田輝政かと思いきや、工楽松右衛門くらくまつえもんという高砂生まれの江戸時代の発明家だった。近くに工楽松右衛門旧宅もあるみたいなので、このあたりでは有名な方なのかも。


立派な巨木には『ご神木いぶき』との立札が。謡曲『高砂』の登場人物でもある、阿蘇大宮司・宇治友成うじともなりが持っていた杖が発芽して生えたとか。杖が木になるって神話ではよく聞くけど、友成さんとなると平安時代よ。

松以外にも見所の多いお社だったね。ともあれ、播州松巡り完結!

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