播州松巡り 曽根天満宮の曽根の松と梅

2021年2月20日土曜日 14:24

播磨国風土記の語る景行天皇の妻問い行程とも符合する、播州松巡り。4年前にその内のいくつかを回ったが、思い立って残りを回収してきた。ひとつ目は曽根天満宮の曽根の松で、境内の梅がそろそろ見頃だというのが、そのきっかけ。

晴れた週末、梅見に行きたい。それで思い付いた。梅といえば菅原道真、道真といえば天満宮。天満宮といえば、播州松巡りの中でまだお参りしていない所がある。そこで嫁を誘って、のんびり昼過ぎから行ってみることに。
向かった先は、兵庫県高砂市の曽根天満宮。参拝者用駐車場が割と広くて、そこそこの数の先客が中を埋めていた。近隣でも梅の名所として知られているのかな。梅まつりの幟もはためいていた。


まずは拝殿にて拝礼。巨大な注連縄が目を引く。重さ約500kgで県内最大級だそうだ。確かにこれだけの大きさは、そうお目にかかれない。
主祭神は菅原道真。昌泰4年(901)、藤原時平の讒言により醍醐天皇が菅原道真を大宰府へ左遷した、昌泰の変。社伝によれば、
菅原道真が大宰府へ行く途上播磨に寄って、「我に罪無くば栄えよ」と祈って小松を植えた。のちに、道真の四男(五男説もあり)淳茂あつしげが父ゆかりの地に社殿を立てた。
のが、はじまりという。
昌泰の変では道真の子供たちも左遷されており、『政事要略』の巻二十二・年中行事八月・北野天神会の条に、
菅原景行は駿河へ、菅原景茂は飛騨へ、菅原高視は土左へ。
とあるものの、淳茂の左遷には触れていない。『菅家御伝記』には他の兄弟と合わせて、
淳茂らが諸国へ左遷された。
とあるが、淳茂がどこへ飛ばされたかは不明。播磨国に左遷されたという伝承があるらしいのだけど、出典が見つからなかった。
というわけで、文献での確認はできなかったものの、こうした伝承があることは事実。今も語り継がれていることも、大切だよね。


さあ、梅を見に行こう。色んな人の歌碑で垣を作っている所があって、面白い。菅公がたくさん和歌を詠んでいることに、ちなんでいるんだろうね。


その隣にあったのが梅園。40種約150本という梅の木々が、所狭しと咲き誇っていた。五分咲きって感じだけど、綺麗だね~。


『玉光枝垂れ』に『緋梅』に『思いのまま』などなど。


甘い梅の蜜に誘われたメジロたちも、たくさん飛んできていて和む。こんなにたくさん見たのは初めて。少なくとも5羽は飛んでいたなぁ。しかも、すぐ目の前の枝に止まっていたからね、見ているだけでも可愛かったよ~。


観梅を堪能したあとは、境内をぐるり。流造の本殿がめちゃカッコいい!摂末社としては、塩釜神社、早尾社、戎神社などが。


もうひとつの目的が、曽根の松。菅公お手植えという霊松は、残念ながら江戸期に枯死してしまったそうだ。その幹は霊松殿に保存されている。


現在は五代目の松を育成しているとのことだったけど、どこにあるのかわからなかった。こちらも見てみたかったけどなぁ。

松巡りとしては肩透かしにあったけど、思いの外梅園の見応えがあって、良いところを知ったよ。また行こう。

サイト内検索