伊和神社の神域が素敵で惚れた

2017年8月19日土曜日 18:35

兵庫県宍粟市一宮町にある伊和神社いわじんじゃは、播磨国の一宮。伊和大神いわのおおかみが、国づくりが終わったことを高らかに叫んだ地に鎮座する。風土記ファンとして、参拝しないわけには!

出石神社を出発し、八鹿氷ノ山ICから北近畿豊岡道に入ったんだけど、さらに北へ延びる八鹿日高道路が開通していることを知らず、分岐を間違えて北方に行ってしまった。いっそ城崎まで行ってやろうかと半ば本気で考えたが、やはり本来の目的地を目指そうと思い直した。いい加減カーナビを更新せねば。気を取り直して播但道朝来ランプまで戻り、そこで下りた。
但馬国から播磨国の宍粟に抜けるルートは、古代ほどではないにしても、現代でもなかなか厳しい山あいの道。国境は山の稜線や川である場合がほとんどなので、険しくて当然かも知れないが。山の天気なのか、雨にも降られた。


センターラインがあったりなかったりする、狭く曲がりくねった道路を走ること小一時間、道の駅播磨いちのみやに到着。
結局まだ雨がやまないので、休憩を兼ねて道の駅のレストランでお茶にした。ここ、何の時だったか思い出せないけど、一度ご飯を食べた覚えがある。その頃は、目の前の神社に見向きもしなかった。自分の興味の移ろいを面白く感じる。
小降りになったところで、車載しておいた傘を差し、参拝に向かった。


道の駅のすぐ隣にある伊和神社。鎮守の森に覆われ、まさに神域といった佇まい。参道を西へと進む。


橋が架けてあるけど、水は流れていない空掘。しかし橋もまた鳥居や注連柱と同じで、人の世界と神の世界を分ける境目。これより先は神域中の神域だ。


鳥居をくぐる頃には雨がやんだ。代わりに次々と蚊に襲われた。こんな時季に森に入るほうが悪いんだろうケド。


神門の先の手水舎は、オブジェいっぱいで賑やか。水から顔を出す亀の像もあった。しっかり禊ぎをする。


そこから北を向くと拝殿に面する。まずはお参り。


御祭神はオオナムチ(オオクニヌシの別名)。播磨国風土記に登場する伊和大神や葦原志挙乎あしはらのしこおと同一神とされる。先ほど参拝してきた出石神社のアメノヒボコと戦ったという記録が、同風土記に残されている。この争い合った2柱にお会いするのが、今回の旅の目的。
数々の名を同一神とする説を採ると、播磨国風土記の主人公は間違いなくオオナムチといえる。出雲から播磨へやってきて国づくりを行った。その過程で先述の戦いもあった。彼にまつわる説話は各地に散らばっている。まさしく播磨の最高神なのだ。
また、女神アナシヒメに求婚したらフラれ、腹いせに川を堰き止めたり、恋の苦しみから衣服の紐を引きちぎったりと、お茶目さんでもある。この人間臭い神さまが、僕は大好きになった。風土記に興味を持った僕を、その奥へ導いてくれたのは彼だと思う。お会いできてとても嬉しい。


そして、境内の雰囲気も素敵!樹木の繁茂した広大な敷地に、ぽっかりと社が鎮まる空間が開けている。結界という言葉がしっくりくる。これほど感銘を受ける神社はなかなか無い。嫁もいたくお気に召したようす。


ご挨拶が済んだら、散策開始。
拝殿脇の狛犬の顔、愛嬌がある。ブサかわいい。


本殿横の石灯籠で雨宿りしてるアマガエルを、嫁が発見。鳴き袋をぴくぴくさせてて、和む。


本殿裏には鶴石が祀られている。
伊和恒郷いわのつねさとという伊和族の長に託宣があり、一夜にして杉や檜が生い茂って空には鶴の群れが舞い、そのうちの大きな二羽が北向きで石の上に眠っていた。そこに神殿を造ったのが伊和神社の起源であり、鶴のいた石を鶴石というそうだ。
磐座は原始信仰が透けて見えるから好き。しかもロマンのあるエピソード付き。


続いて境内社。
御霊殿ごりょうでんには件の伊和恒郷を祀る。


本殿左右の同じ形の社殿は播磨十六郡神社。東に明石郡・美嚢郡・加古郡・印南郡・加東郡・加西郡・飾東郡・飾西郡、西に多可郡・神東郡・神西郡・宍粟郡・揖東郡・揖西郡・佐用郡・赤穂郡。
賀茂郡が加東郡と加西郡に、飾磨郡が飾東郡と飾西郡に、神崎郡が神東郡・神西郡に、そして揖保郡が揖東郡と揖西郡に分かれていることから、明治12年の郡区町村編制法の施行以降に建てられた物ではないかと。


五柱社(アマテラス,クニノトコタチ,ウカノミタマ,サルタヒコ,スサノオ)。
クニノトコタチが祭神に含まれるということは、これも明治以降かなぁと邪推してしまう。
この社の彫り物が凄い。立体的な龍の彫刻の細やかさよ。


本殿に向かって右手、西側の階段を下りて神門を過ぎると、南に市杵島姫神社(イチキシマヒメ)。
由緒書によると、安永2年の境内図に明記されているとのこと。新しくても江戸時代中期までは遡れるわけね。
水の神さまらしく、池を周囲に張ってあるから好みだ。鯉も泳いでた。


戻って北へ歩いていくと、『乙女の泉』という場所に行き着く。
寄り添った可愛らしい二人の童子の石像があった。比較的新しい。しかし、泉と呼べるようなものは存在しなかった。かつては像の足下に水を湛えていたらしいが。放置されているような印象で、寂まくとした空気。他が素晴らしいだけに、なんだかやるせない気分。

最後に思わぬケチがついたけど、全体としては非常に満足。「於和おわ!」って声を上げれば良かったかな。

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