出石皿そばと出石神社
2017年8月19日土曜日
14:35
兵庫県豊岡市出石町にある
出石といえば出石そば。また、旧出石藩の城下町でもあり、散策するのも楽しい場所だ。
出石町には平成の大合併前に一度訪れたきり。改めて行ってみたら、新しい発見があるかも知れない。そんな期待を抱きつつ、9時に車で出発。
ところが、カーナビがルート上に通行止があるのでルート変更すると告げてきた。姫路バイパスから播但道に入るも、福崎南ランプで下りろという。言われるまま従いつつ、原因を助手席の嫁に調べてもらった。それで判ったのだが、前日未明の大雨で土砂崩れが発生し、上下線とも復旧の目途が立っていないとのこと。眠ってたのに目が覚めるほど確かに凄い雨音だったけど、まさかこんな形でその被害に遭遇するとは。通行止区間1つ手前で下りる判断をしたナビは賢い。
しかし、地道もその影響なのか渋滞。神崎南ランプから再び播但道に乗るまで、30分以上のロス。マイッタ。
思わぬアクシデントがあったものの、無事出石の中心地に到着。停めやすそうな鉄砲町駐車場に車を置くことにした。
料金支払い時に貰ったマップを片手に、まずは観光センターに寄る。敢えて下調べしてこなかったので、蕎麦屋の情報を求めてのこと。おあつらえ向きに出石皿そば食べ歩き公式ガイドを入手できた。これが実に便利。麺の挽き方・色・線、だしの甘辛・濃淡といった味の大まかな分類と、座敷・テーブル、禁煙など店の特徴が網羅されたリストなのだ。素晴らしい。協同組合さん、いい仕事してる。
禁煙かつ細い麺という条件で絞り、あとはブラブラして直感でお店選び。客引きしてる店を無視して、その奥の『
これがアタリ。店内は明るく涼しく、店員のおにーさんの感じも良い。そして、自家製粉の石臼挽きという皿そばが美味!やや黒い麺をダシに浸けず塩を振って食すと、蕎麦の風味がふわりと口の中に広がる。それが気に入り、もうひと皿塩だけで食べてしまった。冷酒と一緒だったら……なんて考えちゃうけど、この日はノンアルで辛抱する。様々な薬味を少しずつ足していき、最後まで新鮮な味を堪能した。締めに蕎麦湯も。
蕎麦湯ってあまり馴染みがないんだけど、色んな食文化を味わいたいのでちゃんと勉強した。そもそも出石そばも、出石藩初代藩主が信州から蕎麦職人を連れてきたことに始まるんだそうで、元は関西じゃないんだね。
昼食のあとは、気の向くまま歩き回った。但馬の小京都を名乗るだけあって、なかなか情緒ある町並み。本家京都や倉敷と比べるのは酷だけど、これはこれで。珍しく土産まで買ってしまった。
さて、次なる目的を果たそう。2キロほど北上すれば、出石神社。いずし観光センターでレンタサイクルもあるみたいだから、車でなくても充分行ける範囲に位置する。
参拝者用駐車場もあった。白線も何も無い空き地だけど、備えてあるのが有り難い。
出石神社は但馬国の一宮。二の鳥居の扁額もそれを表している。奥には朱い神門、その手前には手水舎。
狛犬、よく見ると両方とも口を閉じた吽形だ。何か意味があるんだろうか。
手水舎に溜まった水はあるけど、新しく出ていない。こういう時は、「祓え給え、清め給え」と唱える。参拝における礼は気持ちが大事だ。
あちこち気になる物がある。石碑に刻まれた文字は、桜・天日槍・乃・神代まで読み取れるが、結局何を示してるのか判らない。傍に桜の木が生えてたから、たぶんそのことなんだろうけど。
拝殿にて二礼二拍手一礼。
アメノヒボコは新羅国の王子で、日本に移り住み但馬国の開拓神となった。この出石神社では、彼が新羅より持ってきた8種の神宝を
新羅から渡来したことはハッキリしてるのに、
後裔として垂仁天皇に仕えた
僕が最近熱心に勉強している風土記においては、播磨各地で
そのアメノヒボコは泥海であった但馬を開き、豊沃な土地をもたらしたという。円山川の治水も行った、まさに国土開発の祖神なのだ。
合わせて心に留めておきたいのは、境内に立つ『沖野忠雄先生』と書かれた顕彰碑。沖野忠雄は豊岡市生まれ、日本の治水港湾工事の始祖といわれる人物。アメノヒボコと微妙に重なる異名である。きっとそれを解ってるから、ここにあるのだろう。面白いもんだ。
拝殿にも狛犬が置かれてたんだけど、ここは阿吽。ただしどちらも角あり。変則的なのばかりだな。特に意味など無く、奉献した人が古典的スタイルにこだわらなかっただけ、ってのが真相じゃないの。
社殿は、拝殿・幣殿・祝詞殿・本殿が連なる様式。さすがは一宮、立派な構え。
本殿は三間社流造。千木の反りが鋭角でカッコいい。端正な社に出会うと嬉しくなるね。
摂社は比売社。
ここで思い出すのが、アメノヒボコとその妻の話。古事記には、新羅で姫神と結婚したが怒らせて日本に帰られてしまった。それを日本まで追いかけてきたのに、但馬国で別の女性と結婚したと。日本書紀にみえる后の話はまた違うし。この社に鎮座されているのはどなたなのかな、などと勝手に想像するのも面白い。
記紀・風土記で受ける印象がまるで違うのは、朝鮮系渡来人の説話を、あれもこれもアメノヒボコという名に仮託しているからだろう。そう考えたほうが自然だけど、1柱の神さまとして捉えたいと思ってしまう。そっちのほうがロマンがあるもの。
城下町から少し離れてはいるけど、ぽつりぽつりと参拝客を見掛けた。混雑するのは嫌だけど、誰もいないのも寂しいから、なんだか安心する。
美味しい蕎麦を食べて、古代に思いを馳せてと、出石は素敵なまちだと再認識した。嫁も好きになってくれた。10月までの大修理中で姿が隠れていた