唐古・鍵考古学ミュージアム
2023年8月19日土曜日
12:21
唐古・鍵遺跡の重要文化財は、弥生遺跡として全国最多級の2,080点を数える。昭和一二年(1937)の唐古池の発掘により、炭化米などとともに木製農工具が出土したことで、弥生時代が水田稲作を行う農耕社会であることが初めて証明された。また、大量の土器から弥生土器編年が確立されるに至った。この遺跡がいかに貴重かわかるよね。
2018年に史跡公園としてオープンしたときからずっと気になっていて、この度ようやく博物館のほうにだけ行ってきたよ。史跡公園に行かなかった理由は、とにかく気候が暑すぎるのと、ボランティアガイドさんのお話を聞いていたら時間が押してしまったからなんだけどね。
連日の猛暑でお出かけする気になれない。だけど行きたいお店がある。せっかく出かけるなら、ついでにどこかに寄りたい。それなら、屋内施設を中心にしたらどうだろう。
というわけで、唐古・鍵考古学ミュージアムへ行くことに。弥生時代には嫁も興味を持っているし、丁度良いかなと。
少しだけ早起きして8時過ぎに出発。多少混んでいる路もあったけど、割と流れていた。西名阪道を郡山ICで下り国道24号を南下して、10時前に道の駅レスティ唐古・鍵に到着。まずは軽く休憩をと思って。駐車場には警備員さんが立っていて、車で結構埋まっている。
2階の『からこカフェ』に直行。テイクアウトも可能なセルフサービスのお店だ。名物のおにぎりなどは11時からの提供とのことで、カウンターに置いてあった紅茶のシフォンケーキと、アイスカフェラテ・アイスコーヒーを注文。道の駅自体が新しいし、落ち着いた雰囲気でゆったり過ごせた。
3階に展望エリアがあるらしいので、あまり期待せずに上がってみた。唐古・鍵遺跡史跡公園が見えるけど……うん、まあ、こうなるよね。交差点を挟んだ斜め向かいであり、高さも大してないからね。
にしても、ちょっと外に出ただけで暑い~。あと、1階の物販コーナーは賑わっていたなぁ。
道の駅や史跡公園から田原本青垣生涯学習センターまでは、2kmほど離れている。北と南に駐車場があるようなので、北側に停めることにした。
建屋に入ると、ミュージアムは2階との案内があり、それに従って階段を上る。すると、踊り場に弥生土器の展示が。ディスプレイが奇麗だし、こういうイントロがあるとテンション上がるね。
「環濠に並べられた兄弟土器」だって。ムラを守るための環濠に土器を並べていたのか。確かに、祈りが込められていそう。
唐古・鍵考古学ミュージアムの入口では、遺跡のキャラクターの楼閣くんと、不思議な形のオブジェがお出迎え。この不思議は後程解けることになる。
受付にて観覧料を支払うと、撮影OKの旨と、ガイドによる案内を希望するか訊かれたので、不要と答えた。
第1室は「唐古・鍵の弥生世界」。
唐古・鍵ムラの最盛期を表したジオラマは、多重の環濠だけでなく水路も張り巡らせてあって、勝手にイメージしていたものとは全然違っていた。約900人が住んでいたと考えられているんだとか。
鹿の肩甲骨は占い――いわゆる
ミニチュア土器とか銅鐸や勾玉の形をした土製品とか、どんな風に使ったんだろうとか、想像が膨らむ。マツリの道具という理解が一般的だろうけど、小さいものは可愛いって感覚は先史時代にも共通していたりしないかな。
第2室は「弥生の美・形・技」。整然と並べられた考古資料が、まるで美術品のよう!
その入口にあった
弥生時代の「神」を表しているという説もあるらしい。ただ、山など自然そのものの霊異を神として畏れ崇めたのがはじまりで、それがヘビなど動物が神の化身として考えるようになると理解していて、人の姿をもつ人格神というのはさらに新しいはず。例えば、雄略天皇が御諸岳の神を捕まえてくるよう命じて、捕らえられてきたのは大蛇だった話が『日本書紀』にあるわけで、雄略天皇が「倭の五王」の「武」だとすれば古墳時代に相当する。弥生時代に早くも人格神的な思想があったのかな。論文を読んだわけではないので、論拠が気になるところ。
唐古・鍵遺跡を象徴する絵画土器。くっきりと二層構造の楼閣が描かれており、
こちらの壺には
他にも大型建物や手を挙げる人物、鹿、魚などが描かれた土器がたくさん。それもそのはず、唐古・鍵遺跡は絵画土器の出土数が全国最多だそうだ。現代の技法とは異なる、独特のデフォルメ具合が興味深い。
形一つ取っても多種多様で、これが一か所の遺跡から出たというのだから、やっぱり凄い。
脱穀に使用したとみられる臼。把手を削り出していて、実用というより装飾っぽい。これも作った人に意図を聞いてみたくなる。
銅鐸鋳型や
次の室へ向かおうと映像コーナーに近づくと、先ほど見た褐鉄鉱がテーブルの上に置かれていた。なんだろうと見ていると、ボランティアガイドさんに話しかけられた。この褐鉄鉱の中に粘土が入っているそうだ。言われるがまま嫁が振ってみると、内壁に当たって音が鳴る。江戸時代には「鳴石」といって珍重されたんだとか。
その流れで、奈良盆地南部の主要な弥生遺跡を示した航空写真パネルの前で、解説が始まった。最初に受付で断ったのにね、結果的に巻き込まれた感じ。既知の情報が大半で、僕に連れられてあちこち見てきた嫁にとっても知っていることが多かったみたい。だけど相手の話したがっている様子をくみ取って、聞き上手の嫁が優しく相槌を打っていた。なぜか纒向遺跡や前方後円墳の話題が多くて、ここは唐古・鍵遺跡の博物館なのになぁと違和感も覚えつつ、なんだかんだと30分ほど捕まった。自身の考えを押し付けてくるタイプの方ではなかったので、まだ聞けたかな。
気を取り直して、第3室の「唐古・鍵遺跡の周辺遺跡と唐古・鍵弥生集落、その後」へ。
片や、
牛も馬も身近な存在だっただろうけど、例えるなら牛はトラクター、馬はスポーツカー。人々が憧れ造形しようと思うのはどちらが多いか、ってことかなぁと想像する。
決して広くはないフロアに、弥生時代の魅力がぎっしり詰まっていた。色々学びや気づきがあって、充実した時間を過ごせたよ。展示の仕方に工夫が施されていたのも、きっと大きい。