但馬御火浦と香住ガニ

2023年4月22日土曜日 22:10

但馬御火浦たじまみほのうらは、兵庫県美方郡新温泉町浜坂地区の岸田川河口から同郡香美町の伊笹岬までの海岸。山陰海岸国立公園に属し、国の名勝に指定されている。地元では神功皇后伝承が語られている地でもあり、日本海側にあるのは珍しいので、確かめてきたよ。

但馬地方の郷土史研究史は、なかなか厄介なようだ。というのも、総称して“但馬の三大奇書”と呼ばれるような偽書の疑いが強い古文書(『但馬世継記』・『但馬国司文書』・『但馬秘鍵抄』)があり、古い自治体史においても、記紀の記事を捏造してまで主張が展開されるものがあるらしいのだ。なお、『国司文書』を構成する4書のうち各郡史を『但馬故事記』という。
そんななか、但馬国地誌の白眉といわれる『但馬考(宝暦元年(1751)桜井舟山)』を校訂増補した『校補但馬考(大正十一年(1922)桜井勉)』の存在が、俄然大きい。その内一巻はわざわざ「附警」と題して、『国司文書』を後世の偽作と断定し、鋭い批判を浴びせていたりする。
しかし、『平文 但馬故事記(平成十年(1998))』の著者・長岡輝一氏は、偽書であるとの論考が不十分なまま黙殺され、研究対象になっていないことに一石を投じている。
「天武天皇十三年十月十四日地震。気多郡火を噴き、人畜多く死し、神社等震災にかかる。」等の記事を、科学的に究明することの方が、但馬故事記の真偽決定の鍵となり得るのではなかろうか。
と。確かに、地震の痕跡や年代特定は、現代の科学技術ならできるかもしれない。検証可能な記事がもし正しいと判明すれば、成立年代はさておき内容の価値がぐっと高まり、貴重な史料となる。氏の提言には大いに首肯できるね。

こうした状況を踏まえ、但し書きが付いて回るものの、御火浦伝説を紹介しよう。
『但馬故事記』によれば、
仲哀天皇二年、神功皇后の船が伊伎佐いささの海に至った時、日が暮れた。この時、イササワケ(五十狭沙別大神)が御火を岬に現したので、海面が明るくなり、船を浦に停泊することができた。それで、その地を名づけて御火ノ浦みほのうらといった。
という。
また『但馬秘鍵抄』によれば、
神功皇后が三韓征伐の折、敦賀港を出帆して西に向かった際、伊笹いささ岬沖合にて日没となり、たまたま北風が強くなって雨を伴い、濃霧のため陸上が見えなくなったので、航行が困難となった。そこで、武内宿祢が安泰を諸神に祈念したところ、三尾港の日和山に天火が上り、本港の位置が判然としたので、入港して海難を避けられた故事により、美保浦を御火浦と改めた。
という。『秘鍵抄』は部分的にしか現存しておらず入手も困難なようで、やむなく『浜坂町誌(昭和二十九年(1954))』に載る要約文を孫引きした。
御火浦の地名が、神功皇后に由来するのは共通しているけど、他の登場人物が随分と異なるね。もちろん、こんな風にも言われているよって複数系統の伝承があるパターンは、珍しくない。だから、どちらも本当に言い伝えられているのかもしれないし、どちらも創作である可能性もまた、捨て切れない。悩ましい。

さて、鳥取市から国道9号に入って、道なりに山陰近畿道を進んで浦富ICで下りて北進。それから国道178号を海岸沿いに走ると、日本海の絶景が次々現れた。リアス海岸と、急峻な地形の合間に点在する漁村集落。
山陰海岸国立公園を中心として、鳥取市から京都府京丹後市にかけた広大なエリアは、山陰海岸ジオパークといって、ユネスコの世界ジオパークに認定されているそうだ。道理でドライブしているだけでもワクワクするわけだ。
居組地区に、駐車場のある展望所を見つけたので、寄ってみることにする。


そこは穴見海岸あなみかいがんといった。なんてダイナミック!透明度の高い青海原に、安山岩などが侵食されてできたというゴツゴツした小島、そこへぶつかった波が白い飛沫を上げる。この日は風が強く、きっと迫力が増している。
荒々しくも美しい光景に、しばし見惚れた。僕の下手な写真では、ちっとも切り取れていないなぁ。

浜坂地区から岸田川を渡る橋に入ると、センターラインの無い狭い路になった。離合が難しいほどの幅は少しの区間だけで、安心した。


付近に駐車場は無いので、「御火乃浦」の石碑前のスペースに、ほんの数分だけ停めることにした。


但馬御火浦。このあたりには、奇岩や洞門など荒波が創り出した岩石海岸が続いており、漁船による海上タクシーから見ることができるらしい。
展望公園からの眺めでは、三尾大島みおおおしまがあるくらい。流紋岩でできた山で、柱状節理が見られるらしいけど、さすがに遠くてハッキリとは確認できない。かつては長崎鼻ながさきばなと繋がっていたと考えられるが、風波で削られ島になったようだ。
現地の「三尾の伝説」案内板には、『但馬故事記』とも『但馬秘鍵抄』とも違う口碑が載っていた。大筋は『秘鍵抄』に近いが、「天火」ではなく漁師の「かがり火」に助けられたことになっている。土地の人々には、こちらのほうが誇らしさを感じるんじゃないかな。加えて、度々火災に見舞われたので、「火」の字を避けて元の「三尾浦」に名を戻したという、後日談まで。面白いねぇ。

自然と伝承を満喫したあとは、ご当地グルメを楽しもう。お隣の香美町のベニズワイガニは「香住ガニ」としてブランディングされていて、猟期が9月から5月末までと長い。一度食べてみたかったんだよね。
山陰近畿道まで戻ったら、カニを求めて香住ICで下りる。
ところが、下調べしていたお店が臨時休業。でもめげない。「香住ガニランチフェア」に掲載されていたお店は、他にもある。さっき通りすがった所も良いかもしれない。


ということで、予定を変更して『かに八代 れんが亭』へ。香住ガニを使ったメニューだけでもあれこれあるし、季節柄ノドグロやホタルイカなどもあって迷う。


けどここは、贅沢かに丼でしょ。お刺身、天ぷら、茹で、ほぐし身にカニみそと、色んな形で味わえる。これにカニ入り味噌汁と小鉢が付いてきた。どれも美味しくて、特に天ぷらが、塩を付けなくてもいけちゃうほど。ご飯が多いかなと思ったけど、負けないぐらいほぐし身もたっぷりで、最後までカニを堪能できた。ごちそうさまでした。
今まで考えたこともなかったんだけど、なぜ日本海ではカニが名産なのか。中心部が凄く深い一方、海峡の水深は浅いため、冷たくて溶存酸素量の多い海水になる。そのお陰で、冷たい海を好むカニなどの魚介類が生息できるんだって。へぇ~、何にでも意味があるもんなんだなぁ。

結局、偽書かどうかは判然としないままだけど、興味深い伝承に出会えて嬉しかった。奇麗なものもたくさん見られたし、美食にもありつけたし、大満足の山陰巡り。

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