藤原京から長屋原へ

2021年11月20日土曜日 13:42
藤原京は、天武天皇が願い、持統天皇が完成させ、文武天皇へと引き継がれたみやこ。だけど、息子の文武から譲位された元明天皇こと阿閇ちゃんにとっても、即位した地でありゆかりが深い。和銅への改元、遷都の詔、和同開珎の流通などを経て、平城京へと遷都する――その道のりを辿るスタート地点だ。

橿考研博物館を後にした僕らは、橿原市藤原京資料室の駐車場へ。藤原宮跡にはまだコスモスがぱらぱらと咲いていて、臨時駐車場もまだ開設されていた。ちょっとビックリ。
駐車場から藤原宮跡へと歩く。隣接されたグラウンドで少年たちが野球の練習に励んでいた以外、広々とした宮跡に人影はほとんどなく、ゆったりとした気分で心地よい。


大極殿院南門から大極殿を望む。


かつて大極殿があった場所には、遷都後に創建されたという鴨公神社の跡。周囲のこんもりした樹々は、大極殿跡を示すだけでなく鎮守の森を彷彿させる。
宮跡には何度か訪れているけど、大極殿の基壇跡にまで足を踏み入れたのは、今回が初めて。今までなぜ行かなかったのか不思議なくらい。


『持統天皇文武天皇藤原宮址』の石碑。ここに元明天皇の字が併記されていないのは、仕方ないかな。阿閇ちゃんは平城宮御宇天皇だもんね。


大極殿の奥は、柵で囲われ立入禁止の札が掛けられていた。9月に話題になった、天皇が生活する内裏から大極殿に移る際に待機した後殿こうでんの跡とみられる、発掘現場だろう。調査は続行中らしいけど、一旦埋め戻しているのか。間接的にだけど新しいニュースの場に触れられて、なんだか嬉しい。


大極殿跡は少しだけ盛り上がっており、わずかながら高い位置から見渡す京の風景には、清々しさを覚えた。

和銅3年(710)、平城遷都。
藤原京をわずか16年で廃し、遷都を急いだ理由については諸説あるが、約30年ぶりに派遣された遣唐使が見た唐の長安城の形が、藤原京と異なっていたことから、最新式の築城を取り入れるためとする考えが、指摘されている。また、地形的に藤原京は内裏に湿気が溜まりやすく、病気の温床となる恐れがあり、天皇を守るためとする説もある。
藤原京の時代は疫病と飢饉の時代でもあり、文武天皇こと珂瑠くんが25歳で夭折したのも、疫病の可能性は捨てきれない。あるいは後者の説のいう湿気問題からの病死もあり得る。彼の死因が何だったかはわからないけど、阿閇ちゃんにまで早死にされては困ると、彼女の身を周りが気遣っての遷都であれば、個人的に納得感が強い。

次の目的地への道中、早めにランチにしよう。遷都の折の道をなぞるなら中ツ道を走るべきところだけど、現在の県道51号は道幅の狭い区間が多い。選んだお店の都合もあり、上ツ道とほぼ重なる国道169号線を北上した。


向かった先は『三輪山本』。箸墓古墳の西あたりだ。よく通る路沿いにあるから、前から気になってたんだよね。
食事受付開始時間から10分ほどしか過ぎていないにもかかわらず、駐車場には結構な数の車。お食事処に向かうと、ボードに名前を書いて待つことに。ある程度想定していたけど、すごい人気だ。幸いそんなに待たされることなく、席に案内された。
店内はシンプルで落ち着いた良い雰囲気。座席間隔は広く、テーブル上にはアクリルボードが設置されており、感染対策は万全。


嫁も僕も、オーダーしたのは冬季限定の牡蠣きのこにゅうめん。透明な仕切りがあると違うものを頼んでシェアするのが難しいから、同じものを食べておいしいねって言い合いたいし。で、これが美味しかったぁ。牡蠣とにゅうめんって合うんだね~。
売店で両実家へのお土産も調達できた。

さて、話を平城遷都に戻そう。
万葉集に、
和銅3年2月、藤原宮から寧楽宮に遷った時に、御輿を長屋原に停めて旧都を振り返って作られた。
とされる歌が残っている。
飛ぶ鳥の 明日香の里を 置きて去なば 君があたりは 見えずかもあらむ
(明日香の里を後にして行ったら、あなたのいるあたりは、見えなくなるのでしょうね)
“君”とは、亡くなった夫の草壁くんや息子の珂瑠くんを差すんだろうね。奈良の都に行ってしまえば、愛しい人の眠るところは、もう見えなくなる……阿閇ちゃんの、後ろ髪を引かれる思いが伝わってくるよう。
歌を作ったという長屋原ながやのはらの比定地は、奈良県天理市西井戸堂町・合場町付近の平野。中ツ道のほぼ中央に当たる。現在も、永原町・長柄町といった地名に残っている。

というわけで、お次は西長柄町にある長柄運動公園。敷地内に先ほどの万葉歌碑があるのだ。


駐車場のすぐ北、テニスコートの隣にひっそりと佇む歌碑に、歌の原文がほぼそのまま刻まれていた。
和銅三年庚戌春二月従藤原宮遷于寧
楽宮時御輿停長屋原廻望古郷作歌
飛鳥明日香能里乎置而伊奈婆
君之当者不所見香聞安良武
中ツ道沿いに同じ歌を彫りつけた碑がもう一つある。続いてはそちらへ。
右足の筋肉が落ちている今、長距離は歩けないが、目的地の近くに車を停めるスペースは無い。やむなく、嫁には近くの電気屋さんに買い物に行ってもらい、単独でそこから徒歩で向かった。


県道51号を南下し、路地に折れたら、西井戸堂町の山辺御県坐神社やまのべのみあがたにますじんじゃ。式内社の論社で、主祭神は建麻利根命。


鳥居を一礼してくぐると、正面には十一面観音立像を安置する観音堂が。手前の神社の拝殿は西を向いている。まずは御祭神と観音さま、それぞれに拝礼した。


拝殿と向き合う場所に、万葉歌碑。前書きが原文から若干アレンジされている。歌本体は達筆すぎて僕には読めないけど、判読できる文字と字数からなんとなく掴めた。
この神社がかつての中ツ道沿い、長屋原に位置しているのが、なんといってもロマン。まさにこの辺りから、阿閇ちゃんは振り返ったのかも知れないのだから。胸いっぱいに空気を吸い込んでから、境内を離れた。


中ツ道を北へと戻る。しかし抜け道になっているのか、ビュンビュン飛ばす車が多い。怖くてロマンどころじゃない。ウォーキングには不適だなぁ。
嫁と合流したら、いよいよ平城ならまで行くのだ。

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