大阪天満宮で神武と孝徳を想う
2019年1月13日日曜日
12:09
大阪天満宮は大阪市北区天神橋にある、菅原道真を主祭神とする神社。境内にインテの同人即売会に行くついでに、大阪の神社を参拝したいなぁと思い、大阪天満宮をチョイス。駐車場の確保が難しそうなので、気は進まないけど電車で。新快速で尼崎まで行って、東西線に乗り換え大阪天満宮駅へ。
しかし地下から地上に出たところで方向を誤り、逆方向に歩き出してしまった。数分進んでおかしいことに気づき、反転。嫁を無駄に歩かせてしまい、申し訳ない気持ちに。
気を取り直して大阪天満宮に到着。ビル群の合間にあって、遠くからだとまったく見えないから、目の前に突然現れる。
表大門の彫り物や立派な注連縄が印象に残った。この感じ、好き。
拝殿の前にはネットが張ってあった。お賽銭を投げられても建物が傷つかないように、保護しているんだろう。
三が日ほどではないにしろ、境内は大勢の初詣客で賑わっている。
僕らにとってもこれが初詣だ。冒頭で述べたように、主祭神は菅原道真。二礼二拍手一礼でお参り。
続いて授与所に行って、新しい――いつも通り交通安全の――御守を授かる。
せっかくなのでおみくじ引いてみたら、なんと大吉。「はじめよりおわりまでよし」だって。ただ、健康だけは「気分転換を図り英気を養いなさい」とあって、身に覚えがありすぎる。最近仕事が多忙で毎日くたくただからなぁ。
嫁は嫁で珍しいことに、凶。迷わず木に括りつけてた。ここが運気の底ってことだよ。あとは上がるだけ。
さあ、一番のお目当ての所へ行こう。神武天皇聖蹟難波之碕顕彰碑は、境内の片隅にひっそりと佇んでいた。ちょっと目立たないにも程がある。僕ら以外誰も存在にすら気づかないレベル。事前に調べていたから驚きこそしなかったけど、淋しさはある。
神武が良い地を求めて東に向かい、その途上で寄ったのが難波碕。
古代の大阪湾は現在とはだいぶ異なり、今より海が陸側に入り込んでいたらしい。とはいえ、地理的にかつてここが難波碕だったとは思えなくて、なんでこんな所に顕彰碑が立っているんだろうなと。顕彰が目的だから、必ずしも伝承地に立っていなくてもいいといえば、それまでなんだけど。難波碕は日本書紀の記述で、古事記でいえば
碑の西、蛭子門の脇には老松神社。
古くとある。神功皇后の三韓征伐伝説がこんな所にも。神功皇后 右九州筑紫より帰航の折、巨松に風波の難を避け樹下に社を建てたのが始まりと伝う。
それから他の境内社を時計回りに回っていく。
もうひとつの目的が、摂社の大将軍社。社伝によると、
白雉三年(652)、という。孝徳天皇 が難波長柄豊碕宮 に遷都したとき、都の西北を鎮護するために創祀された。
難波宮跡には以前訪れたことがある。こうして点と点が繋がると、ますますロマンが溢れる。本殿よりこちらを拝めたことのほうが嬉しくて、道真さんゴメンねって。
住吉神社の扉絵が黄金に輝いていて美しく、思わず目を奪われた。老松神社にも住吉三神お祀りされていたけど、ここにもあるのか。
霊符社の御祭神はアメノミナカヌシ。東端の目立たない場所にある。本殿付近にあれほどたくさんいる参拝客の姿も、ここではホントにまばら。
アメノミナカヌシは神話において天地の初めに現れる神さまだが、妙見菩薩との習合以降の信仰というイメージが強い。だけどここは、妙見さんの匂いを感じない。あくまで僕の感覚でしかないけど。
嫁が是非ともお参りしたいと言う。最初に生まれることに意味があった存在と考えるといいなって。そういう感じ方、大切だよね。
その霊符社の狛犬が、ずんぐりしてて可愛い。
路地を挟んだ北側には祖霊社。
全部は挙げていないけど、これで隅々まで巡れたかな。
思っていたより狭い境内だったけど、見所いっぱい。良い初参りになったよ。