住吉大社
2018年7月14日土曜日
16:03
僕の住んでいる地域では、半径5キロ圏内だけで10を超える住吉神社が見つかる。
動機は色々あって、念願の参拝。
堺から北上すること20分、住吉大社南駐車場に到着。阪堺電車の軌道が西側に通っていて、若干戸惑った。大阪の路面電車って初めて見た~。
さすがは全国的に名の知れた神社、有料の駐車場ながら結構な数が停まっている。
駐車場の脇からも本殿へ進めるけど、ここはやはり正面から向かいたい。
大きな社号標の横には、月末の住吉祭の提灯飾りなどが準備されていた。こういう雰囲気、嫌いじゃない。
色とりどりの幟がはためく参道を行く。参拝客もそこそこ。
鳥居をくぐった先の由緒書の隣にあった万葉歌碑。船をかたどっているのが、航海の神を祀る神社に相応しくて良いね。裏にも下にも刻んであって、全部で10首。
すみよっさんの象徴、
見た目こそ急斜があるけど、階段が据え付けてあるので容易に昇降できる。
手水舎にウサギとは珍しい。説明書きに、
兎(卯)は当社の御鎮座(創建)が神功皇后摂政十一年(211)辛卯年の卯月の卯日である御縁により奉納されたものです。とある。なるほど。
――と、ここで僕は終わらない。創建年について日本書紀や
とあって、辛卯年と明記されているけど、卯月卯日とは書いていない。主張するなら出典を示してくれないかな。辛卯住吉神顕形
四角い柱の鳥居と神門をくぐって回廊の中に入れば、本殿だ。
住吉大社の本殿は4つ。第一本宮から第三本宮までは縦に、第四本宮は第三本宮の横に並ぶという、非常に珍しい配列。すべて西を向いているのは、海あるいは港を見守っているからだろうか。
住吉大社公式サイトによると、参拝順序は決まっていないとのことなので、第四本宮からお参りした。
第四本宮の御祭神は
第二本宮はナカツツノオ。
第一本宮はソコツツノオ。
日本書紀の
海の底に沈んだときにとある。古事記とほぼ同じ内容だ。また住吉大社の由緒を記した神代記にも、同様の記述がある(こちらは書紀を引用しているというべきか)。底津少童命 と底筒男命 を、潮の中に潜ったときに中津少童命 と中筒男命 を、潮の上に浮いたときに表津少童命 と表筒男命 を、それぞれ産んだ。
ソコツツノオ・ナカツツノオ・ウワツツノオを総称して、
神功皇后も日本書紀に記述がある。
大津は大きな港、渟中は沼の中、長峡は長く尾を引いた地形といわれる。それが現在の住吉大社のある地だという。諸説あるけど、僕はこの説に納得した。麛坂王 と忍熊王 の反逆を知り、征伐に向かう折、住吉三神から大津渟中倉之長峡 に祀れと、託宣を受けた。それで神功皇后は「随神教以鎮坐焉 」
ちなみに同じ段で、兵庫県西宮市の廣田神社の創祀にも触れている。
時代が下って、
本殿の見所は配置だけでなく、建築様式にもある。
千木を見比べると、第四本宮だけ内削ぎ、他は外削ぎになっていた。内削ぎは女神、外削ぎは男神……なんて説明をたまに聞くし、ここはたまたま一致しているけど、必ずしもそうではないので話半分に。
境内は広いから、巡りたい所をピックアップ。
まずは
ここにある住吉鳥居が珍しく、柱が四角なのは神門前と一緒だけど、
続いて、
神功皇后の御世に住吉大神が現出して、天下を巡行して住みたい土地を求めた。そしてこの地を褒め称え、「と。それがこの場所だというのだろう。真住 み吉 し、住吉国 (まことに住むのに良い国である)」と言い、鎮座して神社を建てた。
五大力の神石という、願掛けの御守になる石もあった。3つ揃った、誰かが集めたらしい石を見つけた。
僕らには不要と考えて、授かることはしなかったけど。
嫁が思わず見上げた、樹齢千年以上といわれるクスノキ。
石舞台。日本三舞台のひとつに数えられるとか。
それにしても暑い。汗で濡れた腕はびしょびしょになっていた。だけど夏は好き。陽射しを浴びて、時折吹く風に涼を感じて、木陰に入るとまたホッとして。神社を歩く暑さはむしろ心地よい。
とはいえ水分補給は大事。特に嫁の体調を気にしながらの巡拝だ。
傍の池を覗き込んだら、亀がいっぱい。鯉はよく見るけど、亀がこんなに。案の定、何かもらえると思ったか、口を開けた奴が寄ってくる。何も持ってないよ~。
その先の門の陰では、鴨が休憩中だった。見慣れない光景にちょっとビックリした。可愛い。
卯の花苑の歌碑にはセミの抜け殻。夏だねぇ。
境外に出て、
そこでおもかる石にチャレンジ。よくあるっちゃよくある代物で、重たいものは重たいってなって終わった。
奥にあるおいとぼし社は、「お愛し星または老年星とも云われ」「地元の古老の伝承によれば、天から落下した隕石を願い事の守護神として祀りはじめたもの」と説明書きにあった。「古老の伝承」ってフレーズに胸が躍る。僕、それ信じるよ。
ぐるっと戻って今度は、
社殿の扉絵に、船だけでなく飛行機が描かれているのが目を引く。1機は複葉機だ。
反橋のビュースポットに到着。南の橋の上からだと順光で、水面に逆さに映るさまも見られた。
少し辛抱したら、渡る人が途切れた。シャッターチャンスを待つ……嫁が自分のカメラを持つようになってから、こういうところが以前と変わったなぁと、改めて思う。
北側からも撮ってみる。松葉を額縁に。
その近くで見つけた、社殿のように飾り付けられた電話ボックスには、思わず笑ってしまった。公衆電話をそもそも見かけなくなって久しいのに、こんな面白いことしてるんだから。
次は北へと回って、
本殿の賑わいと違い、ここまで来る参拝客はホントにまばらだった。
御祭神は
山幸彦ことホオリは海の宮殿でトヨタマヒメと結婚し、地上に戻るときにオオワダツミから
ホオリってずっと九州にいるイメージなんだけど、住吉にも縁があったの。なんにせよ、こういう伝承は面白い。
隣には
最後に
というのも、御伽草子によれば、
摂津国のと。つまり、住吉大社は一寸法師発祥の地なのだ。難波里 の老夫婦が、住吉の神に子供を授かるよう祈ったところ、背丈が一寸しかない男の子が産まれた。
一寸法師のお椀は乗ってもいいとのことで、せっかくなので撮ってもらった。しかしなぜオールが付いてるんだ。そこは逆らって、一寸法師らしくパドルスタイルで。
嫁はこれに加えて顔出しパネルもやった。もはや恒例行事。
暑かったけど、良い天気だったし見所も多かったし、良いお参りだった。古書を読むだけより、現地を訪ね歩くほうが、やっぱり性に合ってる。楽しいね~。