石上神宮で剣の神を参拝

2017年6月3日土曜日 17:54

石上神宮いそのかみじんぐうは奈良県天理市、布留山ふるやまの麓にある神社。一般に七支刀しちしとうで知られる。今でこそ名乗る社が増えてしまったが、古くは神宮と号する神社は伊勢神宮とこの石上神宮のみという、非常に格式の高い社だ。
奈良には参拝したい神社が数多くあるが、今回のルートから近いことから寄ることにした。とても美しい景観を持つ境内だったよ。


売太神社と稗田環濠集落を巡ってもまだ15時過ぎ。これならもうひとつくらい行けると判断し、石上神宮へ。付近には天理教の施設があり、少々変わった雰囲気だった。
最寄りの駐車場に辿り着けなかったので、県道51号線沿いの駐車場に車を停める。境内が鎮守の森に覆われてるとやっぱ良いね。


社号標の隣に柿本人麻呂の歌碑があった。
をとめらが 袖布留山そでふるやまの 瑞垣の 久しき時ゆ 思ひき我は
という恋の歌だ。布留山とは石上神宮のことを指していて、袖を振るのと掛けているわけか。こうして触れる機会が多いから、万葉集も学んでみたくなるんだよな~。
布留町という地名としても残ってるのだけど、その発祥譚がこんな話。
触れるものすべてを真っ二つにする切れ味鋭い剣が川を流れてきたが、下流で洗濯していた娘の布の中に留まった、それで布留という。
と。木や岩さえ断つ剣が布を切らなかったっていう、話としては神秘的で面白い。でもそれなら“ぬのどまり”とかでもいいんじゃない。この話がどのくらい昔なのかによるけど、古来言葉の音のほうを重視していたことを考えると、訓読みではなく漢文に近いのが引っかかる。勘ぐり過ぎかなぁ。


大鳥居の扁額には、主祭神の御名が刻まれてた。
主祭神はフツノミタマ。布都御魂剣ふつみたまのつるぎに宿る神霊とされるが、剣を神格化したと考えたほうが素直かな。国譲り神話において雷神タカミカヅチが携えている霊剣だ。また、神武東征において神武天皇の大和入りを助けた剣でもある。日本神話にて、ターニングポイントとなるシーンで大活躍しているのだ。


大きな神社にあるものといえば、樹齢の長い木。これは神杉かみすぎというそうだ。
先述の川上から鋭利な刃物が流れてきたという伝承は、その変形もあるようで、
流れてきた鉾を埋めて祀ったところ、大きな杉が生えてきた、それがこの神杉である。
とか。海人族によくある海の向こうからの来訪神に近い説話だけど、川だからねぇ。龍神とか水神でもないし、フツノミタマと、川あるいは水を結び付ける要素が思い当たらない。考えられるのは、舞台となった布留川が生活に欠かせない大切な水源であり、また地域の信仰を集める石上神宮の傍を流れていることから、神聖視した、そんなところかなぁ。真相がわからなくても、こんな風にアレコレ考えるのは楽しい。


休憩所の奥に見える鏡池には、ワタカという鯉科の魚がいるそうだ。写真下部にその泳ぐ姿を確認できるけど、暗くて種類を判別できなかった。ワタカは琵琶湖とその接続水系の淀川にのみ生息する固有種だが、誰かがこの池に放流したのではないかといわれてる。


南に延びる、山の辺の道にはたくさんのニワトリさんたち。僕はこういう鳥が大好きなので、癒される。白くてふわもこの烏骨鶏と、小屋の中の左がミノルカで右がレグホン。
ニワトリといえば朝を告げる神のお使い。だけど、ここに奉納されたのは40年ほど前とのことなので、歴史があるわけではない。とはいえ、神域に似つかわしい存在である。
ただ、大きな柏手を打つ音が響いたときには皆ビクッてなってて、環境的には可哀想にも思えた。神社なんだから日常だろうに、慣れないのかな。


鮮やかで尾の形が優雅な東天紅。いっぱいいると争いが生まれるようで、このデカいのがボスっぽい。時折他の雄をつついて強さを見せつけてた。
手水所で禊ぎを済ませたら先へ進む。ニワトリに気を取られたせいか、最初どこにあるのか気づけなかった。


立派な楼門は国の重文。回廊と合わせて神仏習合の名残が窺える。春日大社や談山神社を連想した。昔は鐘楼門だったのに、神仏分離で鐘を外されたって話を聞くと、何やら悔しい気分。


国宝の拝殿からお参り。桧皮葺の入母屋造がカッコいい。奥には千木の載った本殿が見える。かつては本殿のない禁足地を拝む形式だったとか。そういうことからも創建の古さが判るね。
ここには屈指の剣の神さまがいらっしゃる。審神者としてはきちんと参らないとね!と、二人とも刀剣乱舞プレイヤーなので、謎の力の入れよう。


拝殿を真横から捉える。建築美にうっとり。


回廊内に顔はめパネルがあるとは思わなかった。“こっふんさま”て。調べたら頬に円い模様とか無いんじゃん。なんでここに穴を設定したんだ。
それと、授与所で見かけた七支刀デザインの御守にちょっと惹かれた。でも御守ばっか増やしてもしょうがない、って踏みとどまる。


こちらも国宝の摂社拝殿。元は内山永久寺うちやまえいきゅうじの鎮守の住吉社の拝殿だったもの。廃仏毀釈で破壊され廃寺となったため、移築されたらしい。
出雲建雄神社いずもたけおじんじゃの拝殿だけど、柵が巡らしてあるので、拝殿としては使えない。


摂社の出雲建雄神社。御祭神は草薙剣くさなぎのつるぎ荒魂あらみたまであるイズモタケオ。こちらも剣の神さまであるならば(以下略)。
隣の小さな末社は猿田彦神社。サルタヒコのほか、件の住吉社の御祭神を合祀してるそうだ。


向かって左が天神社てんじんしゃ。手水の近くに牛の銅像があったから天神さまかと思いきや、お祀りされてるのはタカミムスヒとカムムスヒ。あの牛はなんだったんだ。
右側は七座社ななざしゃ生産霊イクムスヒ足産霊タルムスヒ魂留産霊タマツメムスヒ大宮能売オオミヤノメ御膳都ミケツ辞代主コトシロヌシ大直日オオナオヒ。知らない神名のオンパレードだったんで調べた。天神社の2柱と合わせると、天皇を守護する八神はっしん+1なのか。納得。残るオオナオヒは、イザナギが禊ぎをしたときに生まれた神さまだ。
これらの神々は鎮魂祭との関わりが深いそうだ。ニギハヤヒを祖神とする物部氏との縁も強い神社なので、もっと勉強してみると面白そう。


出雲建雄神社拝殿前に続く参道。通れないようになってる。見た感じ結構古そうだから、こちらが元表参道だったりして。現表参道が楼門や拝殿に対して横向きなのが、気になるもんで。いちいち疑って掛かってしまう。


戻って楼門前参道。ここからの眺めが特に美しい。週末の夕方で参拝客はぽつりぽつりだけど、なかなか途切れない。嫁も写真撮るのが好きになったようなので、二人で人影がフレームアウトする瞬間まで粘ったよ。

良いお参りだった。他の回った所と合わせて、達成感さえある。だけど行っておしまいではなく、むしろどんどん世界が広がっていく。そもそもなぜイソノカミという社名なのかも知らないし。色々知識武装してから、また訪れてみたい。

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