家島神社に残る伝承と景色が語る古い港の情景

2025年11月3日月曜日 19:38
兵庫県南部の播磨灘に浮かぶ家島いえしま。姫路港から船でわずか30分、気軽に行ける小さな島だ。
ずっと気になっていた、この島と神社にまつわる古い伝承。本で知っただけじゃなく、現地でその空気を味わってみたい。そんな思いで出かけることにしたよ。

家島は古くから天然の良港として名高い。『播磨鑑はりまかがみ(宝暦十二年(1762)平野庸脩ひらのようしゅう)』には、「島々が外海の風を遮り、入江が大きく湾曲する地形のおかげで、荒天でも船が安全に停泊できる。数万艘が日々集っても狭さを感じないほどで、家の軒先にまで船を繋ぐことができた」とまで記されている。
位置こそ「辺鄙」とされながらも、和歌にも詠まれ、文献にも度々登場する場所である。『万葉集』のほか、菅原是善すがわらのこれよし(菅原道真の父)も家島を題材にした歌を残しており、その認知度の高さがうかがえる。

その家島港を見守るように、北東へ突き出た岬「天神鼻」の先端に鎮座するのが家島神社。史料上は、『続日本後紀』承和七年(840)六月甲子条に「播磨国揖保郡家島神」が官社に列せられたと記され、『延喜式』「神名式」にも載る由緒正しい古社である。海上交通の要衝に位置することを思えば、創建は記録に残る平安時代よりさらに遡ると考えるのが自然だろう。
伝説でも、神社の始まりを古代へ結びつけるものが伝わる。「神武天皇が東征の途中、家の中のように静かな港であったため『家島』と名付け、軍勢の武運長久と航海の安全を祈った」というものや、「神功皇后が三韓征伐に向かう際に天神を祀った」というものがある。
神功皇后にまつわる伝承は瀬戸内沿岸に多く、『播磨国風土記』にも類例がみえる。一方、神武天皇に関する伝承は播磨では珍しく、こちらは比較的新しく付加された可能性も考えられる。

それでも、風波を避けられる貴重な港として知られた家島だからこそ、古代の英雄たちと結びつける物語が生まれ、語り継がれてきたのだろう。伝承がどの程度古くから存在していたかは慎重に考える必要があるが、この地の風土や環境が育んだ信仰と伝承の厚みこそが、家島の歴史的魅力といえる。

さあ、紙の上ではわかったつもりでも、まだ実物を見ていない。どんな景色が待っているのか、いまの家島を歩いて確かめに行こう。

特に予定もない三連休最終日。天気は晴れ。朝晩は少し冷えるけど、動きやすい季節になってきた。
起きてから急に決めたのに、嫁が手早く支度してくれて、9時過ぎには出発できた。
姫路港へ車で向かう途中、9月の花火大会でバスから見た景色を思い出す。
駐車場は第一がなんとか空き。観光バスも来ていて、小豆島行きが人気らしい。

家島行き定期船に乗るにあたり気を付けなければならないのは、高福たかふくライナー・高速いえしまの2社が運航しているが、乗船券はそれぞれ別ということ。
10時発が高福ライナーと確認してから券を購入した。

港へ向かうと、ちょうど乗る船が入ってきた。旅客定員90人の小型船だ。
下船してきた人たちはみな軽装で、家島に住む人が姫路に買い物にでも行くんだろうか。
出航まで船内で待てそうだったので、早々と乗り込む。
定刻が近づくにつれ乗客が増え、座席は半分ほどが埋まった。家族連れや夫婦、釣り人の男性一人など、観光客らしき人が多くて、なんだか心強い。

姫路港を出ると、白い飛沫を上げながら海面を滑るように進む船。
普段船に乗らない僕らにとって、短い航路でもワクワクする。
嫁は少し酔ってしまったけど、湾に入ると波もおさまり、どこかホッとする静けさ。「家の中のように静かな港」という神武天皇の伝説はこういうことか、と実感した。

真浦港を経由し、宮港に到着。足元だけまだ船の揺れが残っている。
海沿いの細い道を東へ。離島というものにも訪れた経験が少ないけど、どこか淡路島の沼島を思わせる風景だ。

まずは高台にある清水公園へ。ここは家島十景のひとつ「監館眺望」として知られ、島々や海を一望できる絶景ポイント。
江戸時代の寛永十六年(1639)、姫路藩主・松平忠明は海上警備のため、家島宮浦に番所を設けた。現在の清水公園周辺がその跡地とされる。
ここまでの平らな道とは打って変わって、急坂になる。嫁のペースに合わせてのんびり登った。

坂の途中にある階段を上り切ると公園。
「監館眺望」という名前は、江戸中期の書物『播陽万宝智恵袋ばんようばんぽうちえぶくろ(宝暦十年(1760)天川友親あまかわともちか)』に収録された『家島十一景詩歌 家島記雑歌(広瀬親英ひろせちかひで)』の漢詩のタイトルに由来する。
この詩を通して、昔の人もこの高台からの景色を楽しんでいたことがわかる。
……が、肝心の眺望は木々が遮ってほぼなし。階段下のほうがよく見えたぞ。

公園内には漢詩とその現代語訳を記した石碑もあった。下調べ済みの僕にはあまり用のないものだけど、現地に丁寧な案内があるのは良いね。

道路を挟んだ南側からは、岩肌むき出しの男鹿島たんがしまがよく見える。それでこそ、上ってきた甲斐があるというもの。
花崗岩の島で採石が盛んらしい。なるほど迫力ある景観だ。

元の道に戻ろうと階段を下りていたら、公園のブランコで遊ぶカップルが視界に。旅先のテンションってこういうことだよね。微笑ましい。
彼らだけでなく、道を歩いているとチラホラ他の観光客とすれ違うし、レンタサイクルが停められているのも見かけた。観光の島として割と人気があるんだなぁ。

階段を下りたところから、家島湾を一望する。姫路城は見えないけど十分きれい。

続いて家島神社へ。鳥居のそばには、「式内家嶋神社」の社号標が誇らしげに立っていた。

万葉歌碑もあり、本文を見て、あの歌かと気づく。

静かな参道を振り返ると、鳥居の向こうに穏やかな青い海が広がっていた。その景色がなぜだか胸の奥をふっとときめかせる。

その先はまたしても階段。嫁を励ましながら頑張って上る。

突き当たりを左に曲がると、社殿があった。柏手を打って拝礼。
御祭神はオオナムチとスクナヒコナ。播磨ではよく見る組み合わせだ。天満天神こと菅原道真公も合祀されている。

ところで、道の途中にあったカフェでランチにする予定だったのだけど、開店時間に行ったらシャッターが下りたまま。焦ってネットで確認したら、営業は金土日だけだった。ここは調べが甘かった。嫁に平謝り。
申し訳ない気持ちを引きずったまま、帰りに横を通ったら、今度は開いている。準備をしている店主らしき男性に尋ねると、刺身は用意できるが煮つけがないそうだ。それが目当てだっただけに残念。
念のため嫁に他に食べたいメニューがあるか聞いたけど、強いて挙げるならといった感じ。仕方ない、おなかは空いたけど、本土に戻ってから昼食にしよう。

そんなこんなで正午過ぎに宮港待合所へ。ここに券売機はなく、乗船券の販売は船内で行うと貼り紙がしてあった。
待合所の前をウロウロしていた猫ちゃんを発見。小さくにゃあと鳴いていて可愛い。空腹で惨めな気持ちになっていたところを癒してもらった。
帰路も高福ライナーで。結果的に短い滞在だったけど、濃密な時間だった。

姫路港に帰還後、少し遅めのランチは回転寿司『力丸』へ。
家島諸島のひとつ坊勢島の漁港で水揚げされた、まえどれの鮮魚がいただけるのだ。ちょっと変則的ではあるけど、家島グルメを堪能して、嫁にも喜んでもらえたので良かった。

古代の伝承と、今日の暮らしが同じ景色の中にとけ込んでいる場所。史料で読んだ名前の向こうに、ようやく具体的な息づかいが感じられた。
短い旅でも、ページの隙間にあった空白がひとつ埋まったような満足感。それだけで、ここに来た意味は十分あったよ。

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