大極門の完成を祝う平城のとよほき

2022年3月21日月曜日 21:03

平城宮跡歴史公園に、大極門だいごくもんという復原施設が新たに完成した。それを記念して『平城のとよほき』と題したイベントが開催されたので、豊祝とよほくために僕たちも参加してきた!

珍しく前泊なしの朝7時前出発。三連休最終日とあってか、思いのほか道路が空いていて、8時過ぎには県営奈良めぐり平城宮跡前自動車駐車場に到着できた。イベントが10時からなのにこんなに早く行ったのは、開始までに宮跡の北側エリアを回りたかったから。


その前に、無人の大極殿を撮影。窓が空いていて、高御座まで見えるところにグッとくるね。


道路を渡って、まずは北東の市庭古墳いちにわこふんまで。宮内庁により平城天皇の楊梅陵やまもものみささぎに治定されている。円墳のように見えるけど、本来は前方後円墳。


墳丘を確認したら、内膳司ないぜんし/うちのかしわでのつかさ地区を経由して大膳職だいぜんしき/おおかしわでのつかさ地区まで戻る。内膳司とは天皇のお食事を、大膳職とは臣下などへ下賜する食事を、それぞれ用意する役所だけど、それはさておき。
市庭古墳の前方部は平城宮造営の際に削られて、後円部の一部だけが残されている状態なのだ。その前方部の痕跡を示す石列が、このエリアに置かれている。それが見たくてね。写真では少々判りにくいけど、左下あたりの右肩下がりの灰色っぽいものがそう。


石の列上から。ここに立って墳丘のほうを見やると、如何に巨大な古墳だったかが実感できる。墳丘長約253mの前方後円墳で、5世紀前半の築造とされる。
なお、造営時に埋め立てられた周濠跡も同様に、ここより少し南にある。


続いて内裏地区。僕の推し・元明天皇こと阿閇ちゃんも住んでいたかも知れない場所。そう考えるだけでそわそわする~!
続日本紀によれば、遷都前年の和銅2年、阿閇ちゃんが、「造営中に墳墓を発見したら埋め戻して祀れ」と命じている。しかし実際には、市庭古墳のように破壊された事例が、発掘調査で確認されている。この内裏地区にも、平城宮が造られる前には古墳が存在した。神明野古墳しめのこふんといい、墳丘を完全に削平されている。阿閇ちゃんのご配慮もむなしく、ちょっぴり悲しい事実……。


近くを通ったので、宮内省くないしょう/みやのうちのつかさの復原建物も見学した。築地塀に囲われ、現代的な建造物が目に入らないからか、奈良時代に迷い込んだかのような空間。ここで働きたい。


まだ時間に余裕があったから、さらに足を伸ばして造酒司ぞうしゅし/みきのつかさの井戸も。


さてさて、『平城のとよほき』の時間が迫ったところで、復原事業情報館前のテントへ。生駒さんたちの姿を見つけたので、ご挨拶。なんだかんだで顔を合わせるのは1年半ぶりで、嬉しいね~!雑談やらイベントのことやら、つい会話が弾んじゃって、気づけばイベント自体が始まっていた。邪魔しちゃいけないなと、一旦離れる。
何はともあれ受付で、#joyppoi(叙位っぽい)服装を認めてもらい、ミニサイズの文香ふみこうをゲット。二人とも深縹こきはなだのダウンジャケットに、浅紫のマスクを身に着けていったからね。
#joyppoiと#moppoi(裳っぽい)は、衣服令えぶくりょうで位階に応じて定められた色の服を着ることで、催しを受動的ではなく参加意識を持って楽しめるという、素晴らしい工夫。主催側の生駒さんも、裳っぽい素敵なスカートを穿かれていたなぁ。

そのまますぐ横で、天平フェイスペインティング。ステンシルで額の中央に花鈿かでんという唐風の化粧を施してもらうのだ。奈良時代でいえば女性しかメイクしないけど、せっかくだから僕もやってもらった。嫁は赤、僕は緑を。
ここのテントの方たちがとっても明るく気さくで、マスクの色を褒めてくださったりした。接客慣れしているというか、スゴク気分良くスタートを切れたよ。

その流れで次は古代スイーツを。いつの間にやら行列ができていた。大人気だ。思い返せば、Twitterでも多く話題に上っていたような。単品では早くも売り切れが発生しているほどだったけど、なんとか無事にボックスを手に入れられた。


近くのベンチに腰かけて、早速頂こう。餅餤へいだんはカモや野菜を包んだ奈良時代風クレープ。僕が一番食べたかったもの。糫餅まがりもちいは小麦粉などを練って曲げた揚げ菓子。索餅さくべいはねじって縄の形にした揚げ菓子。揚げ菓子はどちらももちもち。餺飥はくたくは小麦粉を延ばして湯がいたもの。奈良のブランド苺のソースが掛かっていて豪華。どれもこれもメチャおいしい!嫁もニッコニコ。肌寒い日だったから、温めてあるのがまた有り難かったぁ。


続いて復原事業情報館の中にある、奈良時代天皇パネル展示などを見学。事績の紹介とともに上村恭子先生の美麗なイラストが載っているんだけど、後期の方々の顔つきが険しいのが、当時の時勢を暗喩していて面白い。こちらの展示は5月11日までらしい。


展示コーナーのほうには、大極門(南門)に関する新たな展示品が増えていた。塗装前の扁額のモックアップは字彫りが確かめられて、この状態でも美しい。大きさ比較のため立ってもらった嫁の額に花鈿。


そして、いよいよ大極門をくぐる。大極門越しに大極殿を望むって、やっぱ最高!
以前にも触れた通り、平城京は遷都の段階ですべて完成していたわけではない。続日本紀には、和銅4年の阿閇ちゃんの詔に「宮の垣は未完成で防備が整っていない」云々とある。考古学的にも、「和銅三年正月」の年紀をもつ荷札木簡が南面回廊――まさに大極門あたり――の整地土から出土しており、当初、少なくとも大極殿院南面回廊が未完成であったことを示している。それが和銅8年(霊亀元年)、大射たいしゃ/おおいくはを南門で行わせたなどと記録されるように、この頃には大極殿などの宮が完成していたとみられる。大射は射礼じゃらいともいい、天皇の前で弓を射る宮中行事。ここで儀式が催されたわけだ。


奈良時代の復原建築と現代の工事用仮設建築の対比。この素屋根は、東楼ひがしろう復原のため大極門より東に移っていたわけだけど、特殊なジャッキで水平方向にスライドさせたんだね。効率的で興味深いわぁ。今はこういった技術を駆使できるけど、1300年前はさらに大変な……って表現では生ぬるいほど途方もない工事だったんだろうな……。現代の大工さんも、奈良時代の大工さんも、凄い。


朱雀門から大極門の向こうの大極殿!見ずにはいられなかった。この距離感なんだよなぁ~、なんてことが体感できるのも、復原ならでは。

平城宮いざない館側にも『平城のとよほき』会場の『祥瑞マルシェ』があって、屋外にはケータリングカーなどが並び、館内通路には物販やワークショップのブースが。
おやつは食べたけど、そろそろおなかが空いてきた。というわけで、お弁当を2種類買って嫁とシェアすることに。
と、そこへ生駒さんが。奇遇とはいえ、先回りしたような格好に。


僕のチョイスは『お食事処 たちばな』さんの名物とり天弁当。奈保山東陵にも近い奈良豆比古神社の斜め向かいにあるお店で、前は何度も通っているのだけど、食べたことがなくて。時運に恵まれたと思い頂いた。この日限定のカレーとり天もあったけど、初めてで変化球はやめておこうとノーマルを。で、これが美味!煮物などから感じるお出汁のお味も良い。


嫁は迷った末に、『poca frereポカフレール』さんの明日香村のイノシシパスタを選択。それとホットレモネードを二人分。出来立てのホカホカを食べられるのが、キッチンカーの醍醐味だね。イノシシ肉の独特の風味が効いていて、こちらもめっちゃおいしい!臭みはまったくなくて、クセになる味。
二人とも大満足のランチになった。ごちそうさまでした。


それから館内で、『フルコト/ことのまあかり』さんで女帝カレンダーをお迎え。会場ラストワンだった。危なかった~、買い損ねるとこだった。今年ももう3月の終わりだけど、そのうち奈良に行くだろうと思って通販せずに機会を待っていたんだよ。良かった良かった。
他にも奈良時代に関するグッズを販売されている作家さんたちのブースがあって、作品を見ているだけでも楽しい。


多目的室に向かい、今度はミニコンサート鑑賞。雅楽に用いる管楽器・しょうと、その大型のを、田島和枝さんが演奏された。特に竽は正倉院にも伝わるもので、笙より低音。その音色が、平城宮跡で奏でられる……うっとりするような、贅沢なひととき。

楽しい!楽しいけど、早朝からの活動でさすがに疲れてきた。少し休憩したら、公園を離れることに。
僕が誘ったイベントだったけど、思った以上に嫁も満喫してくれて、嬉しかったなぁ。

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