御坂神社

2020年4月4日土曜日 14:42

御坂神社みさかじんじゃは兵庫県三木市志染町御坂にある神社。播磨国はりまのくに美嚢郡みなぎのこおりでは唯一の式内社だ。ただし、「ミサカ」という名の神社が市内にいくつかあるなど、断定は難しい。ともあれ、播磨国風土記との関連が強そうなお社なので、ロマンを求めて行ってみた。

大宮八幡宮の参拝を終え、ついでのついでに御坂神社に寄ることにする。鎮座する地名が御坂ってのがもうエモいよね!
御坂東の交差点を南に折れてすぐ西の細い路に入ると、小さいけど駐車場があった。


鳥居の両脇には、「式内神社」と刻まれた石柱と「御阪社」との社号標、扁額には「式内 御坂神社」。式内社アピールが強めだけど、御“阪”と微妙に字が異なるのも気になる。


鳥居をくぐった右手に、堀に囲まれた末社が。この時点でピンときたけど、確認するとやはり厳島社。御祭神はイチキシマヒメだろう。


ここの桜も綺麗。能舞台と太鼓蔵の間に廊下が渡してあり、その間をくぐって奥へ。
廊下のところに男の子三人が屯していた。入口の自転車は彼らの物か。


窓に貼り出されていた御朱印の見本が、メッチャ可愛い。オオクニヌシだからだろう、大きな袋と白ウサギも描かれている。卯月とも掛けているのかな。


拝殿にて拝礼。主祭神は八戸挂須御諸神ヤトカカスミモロ大物主神オオモノヌシ葦原志許男神アシハラノシコオを配祀する。
播磨国風土記の美嚢郡の志染里しじみのさとの条に、
坐於三坂神、八戸挂須御諸命。大物主葦原志許、国堅以後、自天下於三坂峰。
(三坂に鎮座する神は、ヤトカカスミモロ。オオモノヌシアシハラノシコが、国を固めた後に、天から三坂の峰に下った)
とある。ミモロなのかオオモノヌシなのかアシハラノシコオなのか、結局誰なんだっていう逸話なんだけど、わからないから全部祀ってしまえ感があって、スゴいなと。
2つ3つ神名が出てくるように感じるけどコレ、1柱だけのことを指していると捉えるのが一般的。ヤトカカスが美称とすれば御諸ミモロが名。御諸山といえば三輪山の別名で、つまり大神神社おおみわじんじゃ。その御祭神といえばオオモノヌシ。アシハラノシコオはといえば、オオクニヌシ≒オオモノヌシの別称。繋がった。


ここで終えれば話は簡単なんだけど、オオクニヌシとオオモノヌシは同一神とみなせない。ほぼ同じだけど、分けて考えたい。
オオクニヌシは出雲の神、オオモノヌシは大和の神。播磨国で大きな活躍をするのはオオナムチ(オオクニヌシ)。だけど、三坂に坐す神は、その名前からして大和の神。結局どっちか。
ポイントは、「大物主葦原志許」という、合体しちゃったようにも取れる神名だと思う。大汝少日子根命なんていう、オオナムチとスクナビコナがくっついた名前も播磨国風土記には出てくるので、これは伝承の混同があったとみたい。つまり、大物主と葦原志許のどちらかが本来の名で、片方と話が混じった。
天日槍命と戦った神に葦原志挙乎命がいることを考えれば、こちらがその正体かなーと。


ただ、3柱をお祀りする神社側の解釈も捨てがたい。
「大物主葦原志許」ではなく「大物主、葦原志許」とすれば、自然。三坂に鎮座するのはミモロで、それはそれとして、三坂の峰に天降りしたのがオオモノヌシとアシハラノシコオ……という風にも捉えられる。
謎が深く、だからこそ面白くもあり、ロマンがあるね。


本殿の東に2座。


それと西に1座、御祭神のわからないお社があった。

風土記を読んであれこれ考えるだけでも楽しいけど、現地を訪れるともっと楽しいね!謎は謎のままだけど、それでいいんだ。

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