薬師寺東塔と東院堂
2019年12月28日土曜日
11:47
薬師寺
奈良に行く用事ができたので、これらを拝観するチャンスと思い行ってきた!
仕事納めを少し早めに済ませ、帰宅するなり奈良へと車を走らせた年末。セトレならまちの公式サイトで案内されている提携駐車場が満車で、嫁にフロントまで相談しに行ってもらい、別の駐車場に停めることに。小さなアクシデントはありつつも、無事に二人だけの忘年会を開けた。
翌朝、夜明け前に目を覚ました僕の耳に届いたのが、興福寺南円堂の鐘の音。カーンと割と高い音色で6度響いた。自然と数を数えていたよ。なんて素敵な目覚めなんだ。近くに住んでいる人にとっては日常だろうけど、僕にとっては貴重な体験。
朝食はゆっくり9時から摂って、10時に出発。今回は欲張らず、ゆとりある旅行にするんだ。
薬師寺南駐車場に車を置いたら、休ケ岡八幡宮を拝礼してから、薬師寺白鳳伽藍へ。
受付で拝観料を納め、回廊の中門を潜ると、右手に東塔!写真では何度も見たことがあるけど、実物は初めて。
扶桑略記に、
天平二年庚午(730)三月~中略~廿九日、始建薬師寺東塔。とあって、藤原京からの遷都に伴い薬師寺も平城京に移ってきて以来、他の建物が焼失再建されるなか、1300年近く現存しているんだよ……歴史の深さと美しい佇まいから、しばらく感慨にふけった。
薬師寺東塔は、三重の屋根と各層の
アメリカの東洋美術史家フェノロサが、東塔をこう表現したというのが巷説だけど、彼の発言として存在するかは証明できていない。建築を評する「凍れる音楽」というフレーズ自体は、ドイツの哲学者シェリングの「erstarrte Musik(凝固した音楽)」に由来する。それをさらにゲーテが「鳴り止んだ音楽」と呼ぶのが良いとした。フェノロサが、建築を讃える言葉としてこのフレーズを知っていたとはいえても、それを東塔に向けて用いたか不明だ。少なくとも文献上は、
続いて金堂の御本尊に手を合わせてから、鐘楼。東塔の落慶を迎える記念として、33年ぶりに奈良時代の梵鐘に取り換えられている。大晦日には、この梵鐘で除夜の鐘が突かれることになるわけだ。『西ノ京
薬師寺縁起に、
長保五年十月廿五日。綱條曳取興福寺別院建法寺鐘。掃旧楼跡、新搆借屋以係件鐘。とあるように、焼失した創建時の鐘に代わり、1003年に興福寺別院の建法寺(廃寺)の鐘を掛けたんだって。
建法寺は藤原不比等が創建した植槻寺の別名で、つまり梵鐘も東塔も奈良時代のもの。鐘楼越しに東塔を望むのエモすぎ……。
ついでに立ち寄った授与所には、東塔落慶記念グッズが並んでいた。だけどそれとは関係ない、月光菩薩のポスカを購入。良い写りだったから、好きな仏像をいつでも見られるっていいなぁと。
それから回廊の外側に沿って南に向かい、東院堂へ。冒頭に記したように元明天皇こと阿閇さまのために建立されたもので、薬師寺縁起に、
東禅院舎三口細殿僧坊。吉備内親王奉為元明天皇以養老年中造立也。とある。
御本尊は
薬師寺縁起が金堂の条で、流記資材帳を引用して、
又二体観世音菩像。坐高。流記云、奉為難波那我良豊前宮治天下天皇〈孝徳天王也〉、皇后御願也。と記している観世音が、現在は東院堂に安置されている聖観世音ってことなのかな。ちなみに流記の正式名称は
堂内には他に四天王立像と、南に
回廊内と違い参拝客が少なく、勿体ないなと。薬師寺には何度か参拝しているのに、東院堂に寄ったのは今回が初めての僕が、いうのもなんだけど。
そのまま回廊の南側に回ると、東西両塔が並び立つさまが!絵になるわぁ~。
伽藍の西にある大池というため池越しの眺めも良いらしいから、いつか確かめてみても良いかも。
たっぷり1時間、素晴らしいものを拝めて大満足。