不破関資料館

2019年6月16日日曜日 13:37

不破関ふわのせきは、岐阜県不破郡関ケ原町にあった古代三関さんげんのひとつ。天智天皇崩御後、皇位継承を巡り大海人皇子と大友皇子が争った、壬申の乱じんしんのらんの舞台のひとつでもある。壬申の乱に関する展示があるということで、不破関資料館に行ってみたよ。

なばなの里で気の済むまで過ごしたら、宿泊先である滋賀へ向けて車を走らせる。黄金大橋南を西へ折れて峠道。この日一番の土砂降りは、霧が立ちこめるその峠越えの最中に遭った。ワイパーを最速で動かしても追いつかない、大粒の雨。鞍掛峠というらしい。ワインディングロードの走行に慣れていたのと、悪天候で他車が少ないのが幸いした。周りの音が全部激しい雨音で遮られ、かえって静かなようにさえ感じた。大変だったけど。
山を下りたら雨は止んでいて、ホテルにも迷わず到着。なんか見覚えのある狭い駐車場だと思ったら、以前彦根旅行でお世話になった所だった。下手な店を選ぶより安定してるってことで、夕食はビバシティ彦根の中にあったサイゼ。少し遅い時間帯だったからか、ファミレスなのに落ち着いて過ごせた。飲んで食べて二人で2千円って、相変わらず恐ろしい店だわ。
翌朝、竹生島に行くため、長浜港を目指して琵琶湖沿いの路を進んだんだけど、風が強く湖面に白波が立っている。これじゃ船が出せないんじゃないか。助手席の嫁に確認してもらったら、竹生島ゆきは全日欠航とのこと。ダメか~。当初の計画が無くなってしまった。嫁も楽しみにしていた場所だから残念。近くにあった道の駅、近江母の郷に一旦停めて、どうするか思案する。
……あ、ここまで来たら関ケ原町が近いな。行っていい?と嫁に訊くと、了承してくれた。昨日は花をたくさん見られて嬉しかったから、今日は僕の好きなことしていいと。有り難い。こんな時、日頃から地図を眺めていたことと、行きたい場所を頭に入れておいて良かったとも思った。


そんなこんなで関ケ原町歴史民俗資料館へ。JR関ケ原駅のそばを通ったら、至る所に家紋の描かれた旗などが立ち並び、町を挙げて観光に力を入れていることが、ビンビン伝わってきた。資料館には、関ケ原町といえば天下分け目の戦いだろうと寄ってみたのだけど……全然興味が持てない。昔は戦国武将大好きだったのにな、古代に目が向いてからすっかり気持ちが離れちゃったんだな。あっという間に一周して出た。

古代史ファンとして、本来の好きな所へ行こう。それが不破関資料館。入口が小さ過ぎて、一度は通り過ぎてしまったよ。


駐車場の横に、『ピースプレィ不破の関』と掲げられた謎のスペース。不審そうに嫁が顔をしかめた。うん、こっちだけ見たら、確かに胡散臭いよね。


戦国ファンに比べれば古代史ファンのほうがマイナーだってのは、解っている。事実、あちらはそこそこ見学している人たちがいた。こちらは僕ら以外に誰もいない。解ってるよ、解ってるけど寂しい。
受付に行くと、まさか来館者が現れるとは思っていなかったような顔で、応対された。ひとりわずか百円。
常設展『古代史上最大の内乱 壬申の乱と不破関』と、『食の境目・文化の関所 わざみ』が開催されていた。館内撮影禁止に出鼻をくじかれた。最近OKなとこばかり巡っていたから、ちょっと悲しくなる。でもそのぶん、頭に入れてやるんだ。
常設展は、壬申の乱に至る流れや人物相関図、史跡の案内や、その後の不破関について、模型やイラストも用いながら解説されていた。知らない人でも、これなら結構わかりやすいのでは。

不破関がいつ設置されたか、日本書紀は何も語らない。だから諸説あって、判然としていないんだよね。
壬申の乱の折、日本書紀の天武天皇元年六月壬午(二十二日)条に、
急塞不破道。
とあり、大海人皇子(のちの天武天皇)が村国男依むらくにのおよりらに不破の道を塞ぐよう命じている。これをもって当時はまだ関が置かれておらず、当地点の重要性を評価した天武天皇が乱後に設置したとする説や、鈴鹿すずか不破ふわ愛発あらちの三関の位置から、都が近江にあった時すなわち天智天皇が設置したとする説もある。
三関については、養老律令ようろうりつりょう軍防令ぐんぼうりょう置関条に、
其三関者、設鼓吹軍器、国司分当守固。
とあり、遅くとも奈良時代には三つの関所が設けられていることがわかる。養老律令の公的解釈を示した令義解りょうのぎげから補足すると、
其三関者、謂 伊勢鈴鹿 美濃不破 越前愛発 等是也。
とあり、三関とは鈴鹿・不破・愛発のことというのも、裏付けされている。
平安中期になると愛発関に代わり、逢坂おうさか関が設置された。百人一首で有名な蝉丸の、「これやこの 行くも帰るも 別れつつ 知るも知らぬも 逢坂の関」と歌われている、あの。
余談だけど、名神高速にある蝉丸トンネル。逢坂山を貫いていると知り、この和歌に引っかけたネーミングなんだと気づいて、膝を打った。

固関こげんについても説明があった。
固関とは三関を固く守らせることをいい、都の外からの侵攻を防ぐより、謀反を企てた者が東国に逃走することを防ぐのが目的ではないか、といわれている。続日本紀の養老五年十二月戊寅(六日)条に、元明上皇崩御に際し、
遣使固守三関。
とあるのが初出。
以降、有事に行われてきたが、平安後期には形式化していったらしい。

それと、映像コーナーがあったんだけど、係員さんを呼ばないと再生してもらえない。以前の自分ならそこで諦めるところだけど、こないだの五人旅で意識が変わった僕は、勇気を出して受付の人にお願いした。やりたいことが目の前にあるなら、やらないと後悔する。些細なことでも、僕にとっては大きな変化。
そうして観賞したビデオは、何かの番組で壬申の乱を取り上げた回のようだった。古い映像ながら、コンパクトにまとまっていて良かった。

総じて既知のことばかりだったけど、その確認と、『壬申の乱史跡めぐり』マップを入手できたのは収穫だったかな。史跡に実際に行くのは、また今度、天気の良い日を選んでやりたい。


見学を終える頃には正午。ご当地ものが食べたくて、『関ケ原グルメ&おみやげMAP』を頼りに選んだのが、『やまびこ路』。関東と関西二つの出汁が味わえる、まさに関ケ原という地ならでは。
お店に入ってメニューを見ても、出汁のことが書かれていない。店員の元気なおばちゃんに訊いてみたら、どのメニューでも指定してくれたらできるとのこと。それならと、月見うどんを嫁は関西出汁、僕は関東出汁で注文。見比べても色の濃さが違うし、味も確かに関東のほうが濃い。見た目ほど醤油辛くはないけど。とはいえ、関西人の自分たちからしたら、この関西出汁はまだまだ濃いわ。
会計の際、「どっちが良かった?」って振られたので、「やっぱ関西のほうがいいですわ」「関西の方ですか?やっぱり慣れ親しんだ味のほうが……」なんてやり取りも。
賑やかで良い人だったけど、お店の雰囲気があまり僕らには馴染まなかったなぁ。

計画外のことだったけど、車で岐阜にまで行ってしまったんだな~。体験してみると、思っていたより近い。というか岐阜ってデカいんだ。その端っこに入ったんだね。

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