西宮神社で新たな神社の楽しみ方を知る

2016年12月3日土曜日 16:09

西宮神社は兵庫県西宮市にあるえびす神社の総本社。毎年1月に行われる十日えびすは、阪神間最大のお祭りだ。早朝、表大門の開門と同時に大勢の人たちが境内を駆け抜ける、福男選びのニュースが関西では正月の風物詩となっている。そんな超有名神社ゆえ、一度は参ってみたかった。
阪急西宮ガーデンズに買い物に行きたいという嫁の希望を叶えるついでに、神社に寄ることを提案。振れ幅の大きい不思議な休日となった。西宮ってなかなか行かないからねぇ、こういうときでもないと足が向かないから、良い機会を得たよ。


ショッピングとランチを済ませた昼下がり、国道43号線に面した西宮神社の南門から、車に乗ったまま進入する。境内に駐車場があるのだ。週末とはいえなんの行事もない日、意外と停まってる車は多かったけど、難なく自分たちも駐車できた。
神社の東側を南北に走る県道193号線沿いからも、入ることができるようだった。狭いからあまり勧められないけど。


徒歩で一旦南門を出て表大門まで回る。やはりここから始めたい。
この門があのスタート地点か。開門神事というらしいんだけど、江戸時代から自然発生的に起こったとか。元からの神事ではなく、境内を走るだなんて不敬とも思えることを許すんだから、大らかな神さまであり神社だよな。


門をくぐって境内を歩く。松林があり、かつてはこの近くに海岸があったことを想起させる。


手水舎で身を清めてから振り返ると、本殿の屋根が太陽の光を浴びて輝いていた。ここから見てもカッコいい。正面まで行くのが楽しみになる。


拝殿にて二礼二拍手一礼。奥に本殿があるけど、全容が見えづらい。
本殿は三連春日造さんれんかすがづくりという珍しい造り。カッコ良くて惚れる。
御祭神は、向かって右から第一殿にヒルコ(えびす)、第二殿にアマテラスとオオクニヌシ、第三殿にスサノオ。
ヒルコ=えびすというこの関係と経緯が非常に複雑。ヒルコは、古事記ではイザナギ・イザナミの最初の子で、日本書紀においてはアマテラス、ツクヨミの次に生まれた子とされ、3歳になっても足が立たなかったので、船に乗せて流してしまったとある。記紀にはヒルコのその後は書かれていないが、西宮に漂着したとする説がある。それが海の向こうからやってきた海の神、漁業の神として祀られた。そこからえびす神と結びつき、その後福の神と崇められるようになる。傀儡師くぐつしたちが日本中を回り人形操りを通じてえびす神の神徳を広めたことで、えびす信仰は全国区となった。さらに、商業の発展に伴い商売繁盛の神という神格が加わり、遂には七福神としてまとまったと。
ちなみに、蛭子と書いて“ひるこ”とも“えびす”とも読む。
えびすさまはどこから来たのか。記紀に載ってないけど、この海に流されたヒルコがそうじゃないのか――なんてとこから始まって、あれやこれやとくっついて、現在に至る。民間信仰ゆえに、様々なことが入り組んでこうなったのかな。ややこしい……でも、面白い。手足が無かった、あるいは足が立たなかったという、障害のある子を憐れんで、信仰に結びついた。そう考えることもできて、昔の人々の優しい思いが生んだ神さまともいえる。
日本書紀の説を受け入れると、本殿にはヒルコとその姉と弟が並んでるんだよね。なんだか楽しそうだ。ハブられたツクヨミがちょっとカワイソウだけど。
えびすの由来は他にも複数あって、なかでもコトシロヌシ説が全国的には多い。国譲り神話のときにコトシロヌシが釣りをしていたから、ってのがその理由みたいなんだけど、こっちも大概強引だよね。


さっき挙げなかった1柱、オオクニヌシは明治になってからの合祀。このあたりの事情も面倒なことになってる。大国主西神社というオオナムチ(オオクニヌシ)とスクナヒコナを祀った境内社もある。いきさつは公式サイトの廣田西宮分離、及び大国主西神社の件に詳しいが、一言で片付けると明治政府がいらんことした、としか取れない。


西日が眩しくなってきた境内には、色んな参拝客がいた。七五三詣での賑やかな家族連れや、それとは対照的に拝殿の隅で熱心に拝む女性、腰を直角に折って礼をしたまましばらく動かない夫婦。普段にも増して神頼みに必死な姿が印象に残った。何があったんだろうと、ヒルコの御利益を思い浮かべた。それから、末社をひとつずつ丁寧に回ってた男性。柏手の打ち方が独特で、妙に目についた。何かポリシーでもあるのかな。


拝殿の前には対になった青銅製の神馬しんめと狛犬。
神馬は後藤貞行の作。皇居外苑の楠公像の馬と同じ作者ってのでピンときた。アレも立派だった。よっぽど馬の像が得意だったんだろうか。
この像の青銅賛碑と石碑も手水舎の手前にあった。


狛犬は愛嬌のある顔でなかなか好み。

敷地内には10を超える末社などがあり、一通り回ったのだけど、特に気になったところだけ挙げていく。


兒社ちごのやしろ。読めないからふりがな振っといてほしい。西宮神社の境内にあるけど廣田神社摂社である南宮神社なんぐうじんじゃの末社だ。これまたややこしい。隣にその南宮神社も建ってる。廣田と西宮とが分離した際に取り残されたのか。


南宮神社の祭神トヨタマヒメは、山幸彦やまさちひこことホオリの奥さんで、ウガヤフキアエズの母神にあたる。トヨタマちゃんにこんなところで会えるとは嬉しい。


宇賀魂神社うがのみたまじんじゃはウカノミタマ。お稲荷さんだね。


と思ったら神明神社には、稲荷特有の赤い鳥居が連なり、狛狐や稲荷大神と書かれた提灯が。こちらの祭神はトヨウケビメなんだけど、穀物神ということで稲荷神と習合した例もあるらしい。日本の神さまのカオスっぷりが露呈してて、笑えてくる。だけどそんなこの国が好きだ。


六甲山神社にはククリヒメ。この名を聞くと、日本書紀の一書でイザナギとイザナミを仲直りさせた逸話を思い出すけど、ここは白山比咩神しらやまひめのかみの同一神としての神格で、山の守護神らしい。時代に応じてあっちこっちから信仰が入ってきたってのが、良く解る。


百太夫神社ひゃくだゆうじんじゃは先述の人形遣いたちの祖神、百太夫神を祀る。西宮神社の繁栄を担った1柱といえるよね。
そういえば、人形は持ってなかったけど、時代がかった衣装を着た芸人さんのような男女が、端っこで芝居の練習か何かをやってるのを見掛けた。神社と関係あるのかな。


庭津火神社にわつびじんじゃにはオキツヒコとオキツヒメ。古事記1行シリーズの神々(勝手に命名)で、かまどの神さまだ。系譜でいえばオオトシの子、弟にオオヤマクイがいる。
社殿が無く封土を拝する原始的な信仰が残ってて、なかなかお目にかからない希有な形式の神社だ。


宇賀魂神社のそばで見つけた石柱に刻まれた、干支で表された方位に航海安全の文字。えびすさまが海の神ということで祈念したものか。


神池のある風景は美しい。
そばに茶屋があって、眺めながら休むこともできそうだ。チラッとそんなことが脳裏をよぎったけど、別段疲れてないのでやめた。


最後に御戎之鐘。なんでこんなところに梵鐘と思ったら、豊臣秀頼が奉納したものだとか。この鐘にしろ境内社にお祀りされてる神さまにしろ、神仏習合の色が昔は強かったんだろうなと匂わせる。

さすが大きな神社、見所がいっぱい。軽い気持ちで行ったけど、末社を含めた祭神を紐解いていくことで、全体のイメージが浮かび上がってくるのが楽しかった。また、切っても切れない関係の廣田神社にも参らねばという気になってきた。
神話をきっかけにした参拝も良いけど、神社同士の繋がりというのも面白いかもね。

サイト内検索